誰も知らない80年代の名車 39選 後編 マイナー過ぎてついていけない無名のクルマたち

公開 : 2022.12.10 18:25

1980年代といえば、トヨタMR2やフェラーリ・テスタロッサなど数多くの名車が生まれた時代。しかし、人知れず消滅していった無名なモデルもたくさんあります。後編も引き続き、忘れられた名車・迷車を紹介します。

ダッジ・オムニGLH(1984年)

信じられないかもしれないが、車名につけられた「GLH」はこのクルマの特徴や歴史を指しているのではない。単に「Goes Like Hell(地獄のような走り)」の略だ。あのキャロル・シェルビーが開発を監修していたのだから、驚くべきことではないのかもしれないが。

しかし、オムニGLHがわずか1万3000台しか売れなかったという事実には驚かされる。このクルマ、特にターボモデルの性能は、現代の水準から見ても素晴らしいものだ。0-100km/h加速は7.5秒と、フォルクスワーゲンの新型ゴルフGTIとほぼ同等。

ダッジ・オムニGLH(1984年)
ダッジ・オムニGLH(1984年)

また、シェルビーがさらにチューンアップした500台限定のオムニGLH-Sは、その頭文字をとって「Goes Like Hell, Shelby(地獄のようなシェルビー)」とも呼ばれる。……実際は、「Goes Like Hell S’more」の略である。

MVSベンチュリー(1984年)

ルノーアルピーヌA610にも似ているが、MVS 260とその姉妹車アトランティック300は、完全なる独立モデルである。マニュファクチュール・ドゥ・ヴォワチュール・ドゥ・スポール(Manufacture de Voitures de Sport、略してMVS)社が製造し、ルノーのV6エンジンをミドマウント。最高出力260psまたは302psを発揮する。

性能は高かったが、MVSは本国フランスでもフェラーリに匹敵するようなインパクトを与えることはなかった。260は1984年から1994年まで、後継のアトランティックは2000年まで製造された。確かに速かったが、そのハンドリングは、ほぼ同価格帯のポルシェ911には及ばない。

MVSベンチュリー(1984年)
MVSベンチュリー(1984年)

ポンティアック・フィエロ(1984年)

フィエロは、アメリカン・スポーツカーの中で最もヨーロピアンなクルマと言える。頑丈なボディに、2.5L 4気筒エンジンをミドマウントし、後輪に駆動力を伝達するのだ。しかし、残念なことに、欧州車との類似点はそこで終わり。コスト削減のため、十分な性能を発揮できず、エグゾーストマニホールドにオイルが漏れて発火する問題が発生し、リコールを招いた。

ポンティアックは3000万ドルを投じて2代目フィエロを救おうとしたが、遅きに失した。1986年から1987年にかけて販売台数は半減し、ロータスに憧れたフィエロは37万台を生産したところで打ち切られた。

ポンティアック・フィエロ(1984年)
ポンティアック・フィエロ(1984年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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