誰も知らない80年代の名車 39選 後編 マイナー過ぎてついていけない無名のクルマたち
公開 : 2022.12.10 18:25
1980年代といえば、トヨタMR2やフェラーリ・テスタロッサなど数多くの名車が生まれた時代。しかし、人知れず消滅していった無名なモデルもたくさんあります。後編も引き続き、忘れられた名車・迷車を紹介します。
もくじ
ーダッジ・オムニGLH(1984年)
ーMVSベンチュリー(1984年)
ーポンティアック・フィエロ(1984年)
ーCXA CX(1985年)
ーボルボ780(1985年)
ーネイラーTF(1985年)
ーメルクールXR4Ti(1985年)
ーダイハツ・クオーレ・アバンツァートTR-XX R4(1985年)
ーUVA F33(1986年)
ースズキ・サムライ(1986年)
ーBMW Z1(1988年)
ーシボレー・ベレッタGTU(1988年)
ービュイック・リアッタ(1988年)
ーダイハツ・ロッキー(1988年)
ークライスラーTC by マセラティ(1988年)
ーレクサスES(1989年)
ーベルトーネ・フリークライマー(1989年)
ーラフォルツァ5リッター(1989年)
ーダッジ・ダコタ・スポーツ・コンバーチブル(1989年)
ービーガンチューン・エバンテMk2(1990年)
ダッジ・オムニGLH(1984年)
信じられないかもしれないが、車名につけられた「GLH」はこのクルマの特徴や歴史を指しているのではない。単に「Goes Like Hell(地獄のような走り)」の略だ。あのキャロル・シェルビーが開発を監修していたのだから、驚くべきことではないのかもしれないが。
しかし、オムニGLHがわずか1万3000台しか売れなかったという事実には驚かされる。このクルマ、特にターボモデルの性能は、現代の水準から見ても素晴らしいものだ。0-100km/h加速は7.5秒と、フォルクスワーゲンの新型ゴルフGTIとほぼ同等。
また、シェルビーがさらにチューンアップした500台限定のオムニGLH-Sは、その頭文字をとって「Goes Like Hell, Shelby(地獄のようなシェルビー)」とも呼ばれる。……実際は、「Goes Like Hell S’more」の略である。
MVSベンチュリー(1984年)
ルノー・アルピーヌA610にも似ているが、MVS 260とその姉妹車アトランティック300は、完全なる独立モデルである。マニュファクチュール・ドゥ・ヴォワチュール・ドゥ・スポール(Manufacture de Voitures de Sport、略してMVS)社が製造し、ルノーのV6エンジンをミドマウント。最高出力260psまたは302psを発揮する。
性能は高かったが、MVSは本国フランスでもフェラーリに匹敵するようなインパクトを与えることはなかった。260は1984年から1994年まで、後継のアトランティックは2000年まで製造された。確かに速かったが、そのハンドリングは、ほぼ同価格帯のポルシェ911には及ばない。
ポンティアック・フィエロ(1984年)
フィエロは、アメリカン・スポーツカーの中で最もヨーロピアンなクルマと言える。頑丈なボディに、2.5L 4気筒エンジンをミドマウントし、後輪に駆動力を伝達するのだ。しかし、残念なことに、欧州車との類似点はそこで終わり。コスト削減のため、十分な性能を発揮できず、エグゾーストマニホールドにオイルが漏れて発火する問題が発生し、リコールを招いた。
ポンティアックは3000万ドルを投じて2代目フィエロを救おうとしたが、遅きに失した。1986年から1987年にかけて販売台数は半減し、ロータスに憧れたフィエロは37万台を生産したところで打ち切られた。