誰も知らない80年代の名車 39選 後編 マイナー過ぎてついていけない無名のクルマたち

公開 : 2022.12.10 18:25

CXA CX(1985年)

シトロエンは1974年に無情にも米国市場から撤退し、それ以来復帰していない。ハイドロニューマチック・サスペンションを装備したCX(写真)のようなクルマも米NHTSA(運輸省道路交通安全局)の安全規制で撤退を余儀なくされたのだが、オランダの実業家アンドレ・ポルとマルコム・ラングマンが1980年代初頭にCXオートモーティブ(CXA)を設立。追い出されたフランス車にスポットライトを当てた。

彼らは、シトロエンCXを米国の規制に適合させるため、サイドマーカーランプやシールドビームヘッドライトの装着など、さまざまな改造を施した。また、ウッドトリムなどの高級装備も追加されることがあった。とはいえ、欧州でCXを購入し、改造して米国へ輸送するコストは非常に高く、合法的なホモロゲーションモデルは約3万ドル(現在の約7万3千ドルに相当)で販売された。1991年にCXの生産が終了すると、CXAは次にXMに目を向け、少数を販売している。

CXA CX(1985年)
CXA CX(1985年)

ボルボ780(1985年)

ボルボはイタリアのコーチビルダー、ベルトーネと提携し、セダンの760をクーペの780に生まれ変わらせた。1985年のジュネーブ・モーターショーで発表されたこのモデルは、262Cよりも無難なプロポーションで、上級車の定番だったビニールトップは設定されていない。シャープでスポーティなボディラインは、従来のボルボ車とも見事に調和している。

内装はレザーとウッドトリムで、フラッグシップの名に恥じないものだった。ボルボが世に送り出したエキゾチックなクルマの1つとして、その存在感を示している。エンジンはV6、ターボディーゼル、ターボチャージャー付き4気筒が用意された。

ボルボ780(1985年)
ボルボ780(1985年)

生産台数については、意見が分かれるところ。ボルボは8518台としているが、1万台程度とする説もある。いずれにせよ、780の生産は1990年に終了し、ベルトーネが関与していない初代C70が1996年に登場するまで、その後継車種はなかった。

ネイラーTF(1985年)

MGのクラシックカーに高品質なレストアを施すことで高い評価を得ていた英国のネイラーが、最新のエンジン、トランスミッション、エレクトロニクスを搭載したMG TFを製作するというのは、良いアイデアだと思われた。

しかし、最高出力78psのブリティッシュ・レイランドOシリーズ・エンジンと4速MTは、決して刺激的なものではなかった。もっと安くて運転しやすく、実用的なトヨタMR2が新車で買えた1985年に、TFは1万4950ポンド(約2万8000ドル)で販売されていた。マーガレット・サッチャー首相が試乗しても、100台以上売れるほどの支持は得られなかった。

ネイラーTF(1985年)
ネイラーTF(1985年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ。テレビゲームで自動車の運転を覚えた名古屋人。ひょんなことから脱サラし、自動車メディアで翻訳記事を書くことに。無鉄砲にも令和5年から【自動車ライター】を名乗る。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴとトマトとイクラが大好物。

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