誰も知らない80年代の名車 39選 後編 マイナー過ぎてついていけない無名のクルマたち

公開 : 2022.12.10 18:25

BMW Z1(1988年)

8000台しか売れなかったZ1は、BMWの歴史の陰にすっかり埋もれてしまったようなものである。1988年の発売当時は約5万ドルと高価で、ベースとなった325iスポーツの2倍以上の価格だったが、その流麗な外観とトレードマークのドロップダウン・ドアに多くの人々が引き込まれた。

ずんぐりしたハンドリングとまろやかなパフォーマンスを持つZ1は、Z3 MやZ4 Mといった優秀な子孫によって、幾分影が薄くなっているものの、未だに熱心なファンがいるのは事実だ。

BMW Z1(1988年)
BMW Z1(1988年)

シボレー・ベレッタGTU(1988年)

初代ゴルフGTIの米国版はどんなものかと考えたことはないだろうか? 大丈夫、もう迷うことはない。ベレッタGTUは、最高出力130psの2.8L V6を搭載し、0-97km/h加速9.2秒という、ゴルフGTIにコンマ2秒差で迫る性能を見せた。

ベレッタGTUの特徴は、普通のクルマのスポーツバージョンとは一線を画していることである。単に見た目を変えるだけでなく、サスペンションをいじり、パフォーマンス・タイヤを装着したのだ。このあたりもゴルフGTIによく似ている。

シボレー・ベレッタGTU(1988年)
シボレー・ベレッタGTU(1988年)

ビュイック・リアッタ(1988年)

クーペとコンバーチブルの2種類が販売されたリアッタは、1980年代後半のビュイックのフラッグシップモデルだった。当時としてはかなり先進的なクルマで、ミシガン州ランシングの専用工場で手作業で生産されるという高待遇。16段階調整可能なシート、自動ヘッドライト、そしてタッチスクリーンまで用意されたが、こうした装備は生産終了が近づくに連れて段階的に廃止されていく。

リアッタは1988年から1991年にかけて2万2000台近くが販売されている。ビュイックの経営陣は年間2万台程度売れると予測していたが、目標には届かなかった。これを教訓にしたのか、ビュイックはそれ以来、2シーターモデルを販売していない。

ビュイック・リアッタ(1988年)
ビュイック・リアッタ(1988年)

ダイハツ・ロッキー(1988年)

日本ではラガー、英国ではフォートラックと呼ばれたコンパクトSUV。日本や英国では通用したが、SUVに骨太感を求める米国では小さすぎた。エンジンも100psに届かない4気筒で、パフォーマンスは不十分。ハンドリングも悪く、ブランドのイメージダウンにつながったとされ、ダイハツは1992年に米国市場から撤退してしまった。

ダイハツ・ロッキー(1988年)
ダイハツ・ロッキー(1988年)

クライスラーTC by マセラティ(1988年)

クライスラーとマセラティの親会社であるデ・トマソは、1980年代半ばにスポーツカーを共同開発することに合意。TCのコンセプトは素晴らしいものだった。クライスラーがマセラティの威光を利用して、米国市場の最高級2ドア車に対抗できるフラッグシップモデルを作ろうとしたのだ。

ミラノで組み立てられるため生産に時間はかかったが、エンジンはコスワース設計の16バルブの2.2L 4気筒と三菱のV6が用意された。クライスラーは、約7300台を米国に輸入した後、プロジェクトを中止してしまう。今にして思えば、本当のマセラティエンジンを使えば、寿命はもっと延びたかもしれない。

クライスラーTC by マセラティ(1988年)
クライスラーTC by マセラティ(1988年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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