「失敗作」と誤解されがちな世界の人気車種 12選 実は大成功だったクルマたち
公開 : 2022.12.18 18:05
ルノー・ドーフィン
ルノー史上最もキュートなドーフィンは、戦後すぐに発売された4CVの後継車として、同じエンジンをより大きく、よりパワフルにしたモデルであった。
フランスでは非常に人気があったが、米国では惨めな失敗作として記憶されている。その理由はいくつかあり、車体が錆びやすいことなどが挙げられる。しかし、実際には輝いていた時期もある。
当初、ドーフィンは米国のセカンドカーブームに乗り、小型輸入車としては非常に人気が高かった。ところが、前述の理由から販売は落ち込み、ルノーの経営を破綻寸前にまで追い込んでしまった。
ただ、全体としては大ヒットである。わずか4年で100万台が売れ(4CVは14年かかった)、1956年から1967年までの総生産台数は210万台という高水準。米国人の意見はともかく、殊勲を立てたクルマであることは間違いない。
トラバント601
東ドイツで生産されたトラバントの中で、最も長命なモデルがこの601である。遠い祖先にあたるP50が1957年に登場したときは、それなりにモダンなクルマだったが、わずかな改良を加えただけの601は1990年まで生産が続けられ、自動車業界でも屈指の時代錯誤な存在になっていた。
601は、他に選択肢がない場合にのみ購入するようなクルマだった。それが、どうして成功と呼べるのだろう?
それは、本国に代替車がほとんどなかったからにほかならない。ロシアでは中古車を高値で買わない限り、購入から納車まで何年も待たなければならなかったが、少なくとも納車されれば移動の自由が手に入るのである。
総販売台数の推定はまちまちだが、約300万台ともいわれている。もし、東ドイツの人々が西ドイツの商品を手に入れることができたなら、トラバントを買おうと思った人はいなかっただろう。実際、東西ドイツが統一されると、旧東ドイツ人はすぐにフォルクスワーゲンに乗り換え、トラバントは廃業してしまったのである。
トライアンフTR7
1970年代のブリティッシュ・レイランドの多くのクルマと同様、TR7も開発の遅れ、品質問題、労働争議に悩まされた。ローバーV8エンジンを搭載した派生モデルのTR8は最高傑作ともいわれるが、生産開始時期が非常に遅く、北米でのみ販売され、チャンスをつかむことが出来なかった。また、当時はスタイリングも大きな議論を呼んだ。
TR7の生産中止は、トライアンフというブランドの終焉を意味するものであった。その後、トライアンフとは名ばかりの、ホンダ・バラードをアレンジしたアクレイムという異色のモデルが登場するのみである。
ここまでくると、TR7は失敗作と思われがちである。確かにオースチン・アレグロやモーリス・マリーナのような輝かしい販売台数はなかったが、趣味性の高いスポーツカーである以上、その点ははじめから期待するべきではない。
事実、トライアンフのTRシリーズの中で最も成功しており、10万台以上売れたのはこのTR7だけである。