ベルリンのトラバント博物館 マニア垂涎の展示内容 希少車、変態車との出会い

公開 : 2022.12.24 18:05

トラバントP60(1962年〜1965年)

トラバントの第二進化型は1962年に発売された。595ccの空冷2気筒2ストロークエンジンを搭載し、最高出力は23psとP50よりわずかに、しかし確実に向上している。エンジンは引き続き横置きとされ、4速MT、前輪駆動方式を採用。価格も上昇した。

開発・製造コストの抑制が重要課題であったため、スタイリングを大きく変えることはなかった。見た目はP50とほぼ同じだが、トランクリッドにはエンジンが大きくなったことを示す固有のエンブレムが装着されている。セダンとワゴンがラインナップされ、商用バンタイプも用意されたが、生産台数はごくわずかだった。

トラバントP60(1962年〜1965年)
トラバントP60(1962年〜1965年)    AUTOCAR

P60セダンの生産は1964年に終了し、代わりに601の生産がスタート(その後30年近く生産され続けた)。ワゴンとバンはこの年に小さな改良を受け、1965年まで生産された。トラバントの初期型は、後期型に比べてはるかにレアな存在である。

フォルクスワーゲンのエンジンを搭載したトラバント

ドイツ統一後、旧東ドイツ国民は、安価でモダンな西側車に殺到するようになる。特に怪しげな通貨を有利なレートで西のドイツマルクに交換できたため、トラバントの販売は崩壊した。

トラバントは601の販売を維持するため、当時フォルクスワーゲンがポロに搭載していた水冷1.1L 4気筒の製造ライセンスを購入、従来の2気筒2ストロークから置き換えたのである。写真の601は、「1.1」の名を冠し、フロントのデザインを一新した最終進化型である。

フォルクスワーゲンのエンジンを搭載したトラバント
フォルクスワーゲンのエンジンを搭載したトラバント    AUTOCAR

1990年に生産が開始されたが、販売台数が激減し、翌年には生産が終了した。1990年当時、たとえ比較的新しいエンジンを搭載したとしても、トラバントを買おうという人はそれほど多くはなかったのだ。トラバントの生産台数は310万台弱とされている。

パンツァートラビ(The Panzertrabi)

この博物館に展示されている車両の中で、最も無名のものの1つがパンツァートラビだ。こちらは、BTR-152と呼ばれるソ連の六輪装甲兵員輸送車の縮小レプリカで、ザクセンリング・アウトモービルヴェルケ・ツヴィッカウ社がトラバントのプラットフォームを改造し、ホイールベースを大幅に延長して製作したものである。2台が製作され、陸軍で新兵の訓練に使用されたという。

戦車のような車体には、エンジン、トランスミッション、ブレーキシステムなど、トラバントの既製部品が隠されている。後部に追加された2軸目の車軸も601のものを流用している。フォルクスワーゲン・ゴルフとほぼ同じ長さにすることで、9人乗りのスペースは確保されたが、その分、重量は大幅に増加した。トラバントの615kgに対し、パンツァートラビは約801kg。速度はかなり遅かったと思われる。

パンツァートラビ(The Panzertrabi)
パンツァートラビ(The Panzertrabi)    AUTOCAR

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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