カロッツエリアも苦悶 ジャガーEタイプ・フルア・クーペ 崩せない完璧な美しさ 前編

公開 : 2023.01.14 07:05

マセラティで存在感を示していたフルア

ジャガーのディーラーで販売できる、特別な仕様が必要だとクームズは考えていた。過去にもジャガーMk2 サルーンのボディに手を加えた例を製作し、アップグレード・パッケージとしての可能性が模索されていた。

レーシングチームのオーナーで、ジャガーのディーラーとしても成功していたクームズのアイデアに、ジャガー側も理解を示した。同じ1966年には本社へ話を通したうえで、Sタイプ・クーペのフルア・ボディ版も製作されている。

ジャガーEタイプ 4.2 フルア・クーペ(1966年/英国仕様)
ジャガーEタイプ 4.2 フルア・クーペ(1966年/英国仕様)

それより前の1950年代後半には、ジャガーXK150 Sの特別なクーペをイタリアのベルトーネに依頼してもいた。クームズは、カロッツエリアとの交渉に経験がなかったわけではない。

一方のフルアは、1950年代から1960年代にかけてカーデザイナーとして黄金期を迎えていた。バッティスタ・ファリーナ氏がフェラーリで名を馳せたように、彼はマセラティのスタイリングで大きな存在感を示していた。

初代マセラティ・クアトロポルテやミストラルで、マセラティとしてのブランド・イメージを創出。BMWへ多くのスタイリング提案をこなったほか、グラースやACカーズなど、多くの自動車メーカーに対して豊かな才能を発揮していた。

クームズは、フルアがイタリア・トリノに構えていたデザインスタジオを定期的に訪れていた。Eタイプへどんな改良を施すのか意見が交わされ、方向性が決められた。満足できる仕上がりになると、両者は期待を膨らませたはずだ。

受け入れがたいほど想像とは違うクルマ

「トリノへ向かうと、フルアさんはわれわれが抱くイメージをドローイングとして描きました。ところが次に訪問すると、受け入れがたいほど想像とは違うクルマが完成しようとしていたんです」。1989年に彼はこう言葉を残している。

当時のカロッツエリアは、以前に手掛けたデザインをベースに展開したり、似たアイデアを別のクライアントへ提案することが珍しくなかった。フルアも、それに慣れっこだった。これが不運の根底にあったのかもしれない。

ジャガーEタイプ 4.2 フルア・クーペ(1966年/英国仕様)
ジャガーEタイプ 4.2 フルア・クーペ(1966年/英国仕様)

別の顧客から依頼されていたEタイプ 4.2ロードスターにも、クームズの例と非常に近いイメージチェンジが施されていた。どちらが先に生まれたのかは明らかではないが、影響を受けていた可能性はある。

クームズは多忙で、フルアの仕事に充分な注意を払っていなかった。それだけ彼を信頼していたのだろう。

「Eタイプに新しいフロントとリアを与えたかったんです。彼のアイデアとは別の方法で。メカニズムにモディファイを加え、完璧なフロントノーズと新しいリアエンドを備えたモデルを生産することがアイデアだったのですが・・」

「まったく異なる見た目のEタイプにはなりましたし、2・3台の注文もありました。しかしボディへ大幅に手を加える必要があり、量産する価値はありませんでした」

「大きな加工は想定していませんでした。少し待てば道を走れる、数日で終わる仕事を考えていたんですよ」。クームズの考えは理解できる。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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