バンドのジャケ写に抜擢 オースチン・アトランティック・コンバーチブル 神秘的な流線型 前編

公開 : 2023.01.15 07:05  更新 : 2024.01.16 07:50

有名なクルマを購入したオースチン第一人者

ACCCのメンバーで、オースチンを普段の足にしていた現オーナーのホワイリーは、クラシックカー・イベントでコックスと合流。いつもの会話を交わした。

「新しいクルマの情報を入手したら教えて欲しいと、コックスに毎回話していたんです。ザ・スターゲイザーズのクルマのことは詳しく知りませんでしたが、彼が所有しているという噂はありましたね」。とホワイリーが回想する。

オースチンA90アトランティック・コンバーチブル(1948〜1950年/英国仕様)
オースチンA90アトランティック・コンバーチブル(1948〜1950年/英国仕様)

「2012年のクリスマスに、彼は自宅へ招いてくれました。アトランティックのオーナーに適した人物だと、わたしを考えてくれていたんです。彼の妻と一緒にガレージへ向かい、入念にビスで止められた木製のドアを外して、見せてくれました」

コックスと価格に同意し、A90アトランティックはホワイリーのものになった。「手で押して、ガレージから出すことができました。ブレーキは固着していませんでした」

「領収書と一緒に、ウォッチ・ディス・スペイスのアルバムも渡されました。その時、有名なクルマを購入したんだと気が付きましたよ」

そんなホワイリーは、英国ではオースチンの第一人者に数えられる。過去にはジェンセン社製のボディを載せたA40スポーツのレストアを仕上げ、J40という子供用ペダルカーに関する本も執筆している。彼の自宅は、オースチン・ハウスと呼ばれている。

コックスが引き継ぎたい人物に考えて当然といえた。ホワイリーが唯一無二といえる独自性を持つモデルを探していても、不思議ではなかった。

アメリカ市場へ進出するための旗振り役

「アトランティックは、オースチン・モーター社がアメリカ市場へ進出するための、旗振り役となるモデルでした。明確な戦略が立てられていました。ディーラー網を構築し、ニューヨークにオースチン・エクスポート社という子会社も準備しています」

「マーケティング担当に現地へエージェントを立て、広告担当には本社のJF.ブラムリー氏を任命しています。アメリカ人への印象を考慮し、生産国をブリテンではなくイングランドと表現しました。伝統的な職人技術というイメージが得られたのでしょう」

オースチンA90アトランティック・コンバーチブル(1948〜1950年/英国仕様)
オースチンA90アトランティック・コンバーチブル(1948〜1950年/英国仕様)

「イングランドのオースチンというフレーズは、北米市場ですぐに受け入れられました。後のメディアによる取材では、世界市場への輸出額が2410万ポンドに達したと報じられています。ですが、その過程は簡単なものではなかったようです」

ホワイリーが続ける。「大型モデルの北米価格は、赤字になるほど引き下げられていました。このアトランティックは、イングランドのオースチンというロゴを冠した、最初の量産モデルになります」

「お披露目は、1948年のロンドン・モーターショーです。プロトタイプには、4か所にエンブレムが張られていましたが、量産版では2枚に減っています」

A90アトランティックは戦後のオースチンを象徴するモデルといえたが、多くの人の記憶からは消えてしまっている。しかし、デビュー当時はかなりの話題を巻き起こした。同時期のジャガーXK120には及ばなかったとしても。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジュリアン・バルメ

    Julian Balme

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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