バンドのジャケ写に抜擢 オースチン・アトランティック・コンバーチブル 神秘的な流線型 前編
公開 : 2023.01.15 07:05 更新 : 2024.01.16 07:50
有名なクルマを購入したオースチン第一人者
ACCCのメンバーで、オースチンを普段の足にしていた現オーナーのホワイリーは、クラシックカー・イベントでコックスと合流。いつもの会話を交わした。
「新しいクルマの情報を入手したら教えて欲しいと、コックスに毎回話していたんです。ザ・スターゲイザーズのクルマのことは詳しく知りませんでしたが、彼が所有しているという噂はありましたね」。とホワイリーが回想する。
「2012年のクリスマスに、彼は自宅へ招いてくれました。アトランティックのオーナーに適した人物だと、わたしを考えてくれていたんです。彼の妻と一緒にガレージへ向かい、入念にビスで止められた木製のドアを外して、見せてくれました」
コックスと価格に同意し、A90アトランティックはホワイリーのものになった。「手で押して、ガレージから出すことができました。ブレーキは固着していませんでした」
「領収書と一緒に、ウォッチ・ディス・スペイスのアルバムも渡されました。その時、有名なクルマを購入したんだと気が付きましたよ」
そんなホワイリーは、英国ではオースチンの第一人者に数えられる。過去にはジェンセン社製のボディを載せたA40スポーツのレストアを仕上げ、J40という子供用ペダルカーに関する本も執筆している。彼の自宅は、オースチン・ハウスと呼ばれている。
コックスが引き継ぎたい人物に考えて当然といえた。ホワイリーが唯一無二といえる独自性を持つモデルを探していても、不思議ではなかった。
アメリカ市場へ進出するための旗振り役
「アトランティックは、オースチン・モーター社がアメリカ市場へ進出するための、旗振り役となるモデルでした。明確な戦略が立てられていました。ディーラー網を構築し、ニューヨークにオースチン・エクスポート社という子会社も準備しています」
「マーケティング担当に現地へエージェントを立て、広告担当には本社のJF.ブラムリー氏を任命しています。アメリカ人への印象を考慮し、生産国をブリテンではなくイングランドと表現しました。伝統的な職人技術というイメージが得られたのでしょう」
「イングランドのオースチンというフレーズは、北米市場ですぐに受け入れられました。後のメディアによる取材では、世界市場への輸出額が2410万ポンドに達したと報じられています。ですが、その過程は簡単なものではなかったようです」
ホワイリーが続ける。「大型モデルの北米価格は、赤字になるほど引き下げられていました。このアトランティックは、イングランドのオースチンというロゴを冠した、最初の量産モデルになります」
「お披露目は、1948年のロンドン・モーターショーです。プロトタイプには、4か所にエンブレムが張られていましたが、量産版では2枚に減っています」
A90アトランティックは戦後のオースチンを象徴するモデルといえたが、多くの人の記憶からは消えてしまっている。しかし、デビュー当時はかなりの話題を巻き起こした。同時期のジャガーXK120には及ばなかったとしても。
この続きは後編にて。