実はジャンボと同期生 ランドローバー・レンジローバーとボーイング747 生産終了を記念 前編

公開 : 2023.01.07 09:45

サルーンの快適性にオフロード性能を融合

ボーイングでチーフエンジニアを務めていたのは、ジョー・サッター氏。彼のチームは、商用航空の分野に飛躍的な変革をもたらした。1度に400名以上の乗客を運べるだけでなく、約970km/hの巡航速度と9800kmの航続距離を実現していた。

ちなみに、ボーイング737の初期型は席数が115名、巡航速度は約930km/h、航続距離は約3000kmだ。移動時間が短縮されただけでなく、1名当たりのコストを大幅に削減することが可能だった。

ランドローバー・レンジローバー(初代/1970〜1996年/英国仕様)
ランドローバーレンジローバー(初代/1970〜1996年/英国仕様)

そんなジャンボジェットの開発が始まる前から、グレートブリテン島ではランドローバー・ブランドの魅力を拡大するモデルの計画が練られていた。とはいえ、レンジローバーの生みの親でさえ、自動車市場へ与える影響の大きさまでは予見していなかった。

「サルーンの快適性やオンロード性能と、ランドローバーのオフロード性能を融合させるというアイデアでした。その頃は、まだ誰も取り組んでいない内容でした」。とローバーのスペン・キング氏が後に振り返っている。

当初生み出された「ロードローバー」は、惜しくも量産化には至らなかった。しかしローバーがブリティッシュ・レイランド傘下に収まると、1960年代後半に開発計画が復活する。当時のアメリカでは、ジープ・ワゴニアが人気を獲得していた。

現在まで受け継がれている、レンジローバーらしいフォルムを描き出したのは、デザイナーのデビッド・ベイチュ氏。別に開発が進められていたモデルの、平面的な面構成から派生したものだった。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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