自動車メーカーを危機から救ったクルマ 38選 前編 これがなければ潰れていたかも?

公開 : 2023.01.14 18:05

1つのモデルによって救われた自動車メーカーは、意外と少なくありません。赤字、知名度の低さ、評判の悪さを乗り越えるきっかけとなったクルマを紹介します。このクルマがなければ、今のメーカーはなかったかもしれません。

このクルマがなければ今の会社はなかった

自動車メーカーが経営破綻や評判失墜の危機に瀕したとき、たった1台のモデルによって救われることがある。その中には、伝説となったクルマもあれば、自動車業界の基礎を築いたクルマもある。

積み重なる赤字、知名度の低さ、平凡で退屈なブランドイメージ……。そんな厳しい現実に直面したメーカーを救った功績は、決して小さなものではない。今回は、そんなヒロイックなクルマを年代順に紹介していきたい。

メーカーに危機を乗り越えるきっかけを与えたクルマを前後編に分けて38台紹介していく。
メーカーに危機を乗り越えるきっかけを与えたクルマを前後編に分けて38台紹介していく。

ベントレーMkVI(1946年)

第二次世界大戦直後、英国では、お金に余裕があったとしても高級車を買い求める人は少なかった。そうした中、ベントレーMkVI(マークIV)は親会社ロールス・ロイスの下、標準化されたボディを初めて採用する。

「スタンダード・スチール・サルーン」として知られるMkVIは、時代にマッチしたエレガントなモデルである。兄弟車のロールス・ロイス・ドーンとともに、独立フロントサスペンション、サーボブレーキ、集中潤滑システムなど、先進的な装備が施されていた。MkIVの販売台数は、ドーンの760台に対して5201台とはるかに多く、次の新型車の開発資金を賄うことができたのである。

ベントレーMkVI(1946年)
ベントレーMkVI(1946年)

フォルクスワーゲンビートル(1948年)

フォルクスワーゲンを救ったのはビートルであり、ビートルを救ったのは英国陸軍イヴァン・ハースト少佐である。彼は戦後、フォルクスワーゲン工場の管理者に着任し、生産ラインを再始動。そこで作られたドイツ製の小型車を2万台購入するよう、英国陸軍を説得した。このタイプ1が、その後の空冷フラット4エンジン搭載のビートルの原型となった。

それから販売台数は徐々に伸びていき、工場長のハインツ・ノルトホフが販売網の拡張を開始した。そして1955年には記念すべき100万台目が生産された。これらの販売で得た資金により、フォルクスワーゲンは確固たる地位を築き、現在のような世界的な大企業への道を歩み始めたのである。

フォルクスワーゲン・ビートル(1948年)
フォルクスワーゲン・ビートル(1948年)

ドイツからオーストラリア、ベルギー、ブラジル、さらにはマレーシア、ナイジェリア、アイルランドに至るまで、さまざまな工場であらゆるタイプのビートルが合計2152万9464台生産された。2003年、最後の1台がメキシコでラインオフしている。

フォード1949年モデル(1948年)

フォードは自動車メーカーの例に漏れず、第二次世界大戦後に大きな問題を抱えていた。戦時中はすべての工場が飛行機、戦車、軍用トラック、ジープなどの生産に回されていたが、戦争終結によって軍需品はほとんど必要とされなくなり、一方で復員した兵士たち(消費者)が帰還してきたのだ。フォードは再び自動車を作り始めたが、どれも戦前の設計をベースにしており、時代遅れの感があった。

創業者の孫であるヘンリー・フォード2世は、1945年、28歳でフォードの社長になった。 彼はエンジニアとビジネスアナリストからなる優秀なチームを結成し、新しい1949年モデルをコンセプトから生産までわずか19か月で仕上げた。デトロイトの「ビッグ3」の中でも極めて早い動きであった。

フォード1949年モデル(1948年)
フォード1949年モデル(1948年)

1948年6月の発表当日には、なんと10万台の注文が入った。クーペ(写真)など多彩なボディスタイル、3.7L直6と3.9リッターV8エンジンを用意し、フロントサスペンションは独立懸架で、ステアリングも新しいものが採用された。

1949年モデルは112万台生産され、当時のフォードにとって巨額の利益となる1億7700万ドルを稼ぎ出した。この利益によってフォードは再興を果たし、1956年の株式公開にこぎつけたのだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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