メルセデス・ベンツ180(1953年)

メルセデスは戦後、フォードとはまた違った問題を抱えていた。戦時中、連合軍の爆撃で多くの工場が破壊されてしまったのだ。しかし、メルセデスは廃墟から徐々に立ち直り、再び得意とする自動車の大量生産に踏み切った。そこで生まれた180(W120型)は、シトロエン・トラクシオン・アヴァンを模倣した革新的なユニット構造の、第二次世界大戦後初の本格的な新型車であった。

ただ、180はスタイリングも走りも非常に保守的で、信頼性は高いがスピードは遅い。それでも頑丈な乗用車として27万台を販売し、メルセデスを黒字に押し上げた。しかし、メルセデスの復活を確実なものとしたのは、その次のモデルである。

メルセデス・ベンツ180(1953年)
メルセデス・ベンツ180(1953年)

メルセデス・ベンツ300SL(1954年)

お金持ちのためのクルマづくり。そのためにはブランドに「華」が必要だ。この点において、メルセデス・ベンツ300SL以上の名作はないだろう。

当時、大型車はまだ1930年代のデザインを踏襲しており、小型車も地味な存在であった。そんな中、ガルウィングドアにフューエルインジェクション(燃料噴射装置)、レースの血統、最高速度260km/hの性能を備えた300SLが登場。あらゆる意味でセンセーションを巻き起こし、メルセデスのイメージを一変させた。

メルセデス・ベンツ300SL(1954年)
メルセデス・ベンツ300SL(1954年)

1957年に1400台の生産が終了すると、ロードスターがその座を引き継いだ。リアサスペンションの改良、シャシーの剛性アップ、乗り降りのしやすさなどにより商品価値を高め、1856台が販売されている。さらに、300SLの技術は主力量産車にも取り入れられ、メルセデスは先進技術と安全性のイノベーターとしての方向性を固めることになる。

フィアット500(1957年)

第二次世界大戦後、復興に奔走するイタリアでは安価な移動手段としてスクーターが求められたが、フィアット500はそれに終止符を打った。4人乗りで、子犬よりかわいいルックスの「バブルカー」ではない正真正銘の乗用車のおでましである。18年間で実に350万台が販売された。

排気量499ccの小型並列2気筒エンジンをリアに搭載し、メンテナンスが簡単で安価、しかも街中や郊外を駆け回るのに十分な性能を備えている。500がもたらした利益により、フィアットのビジネスの基礎が築かれた。

フィアット500(1957年)
フィアット500(1957年)

BMW 700(1959年)

現在のBMWが、かつて潰れかけていた会社であるとは考えにくいのだが、1950年代後半はまさにそのような危機的状態だった。高級車とバブルカーというまとまりのないラインナップでは収益が上がらず、そこで登場したのが700であり、今日まで続く1シリーズなどの量産車の雛形となったのである。

700はBMW初のモノコック構造で、当初はクーペとして発売されたが、すぐにセダンが登場。セダン単独で15万4557台の販売を記録し、クーペとカブリオレは、さらに3万3500台を売り上げた。BMWの二輪車用エンジンから派生した697ccフラットツインをリアに搭載するという個性的な構造であったが、人気は損なわれず、今日に至るまでの成長の土台となった。

BMW 700(1959年)
BMW 700(1959年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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