自動車メーカーを危機から救ったクルマ 38選 前編 これがなければ潰れていたかも?
公開 : 2023.01.14 18:05
ジャガーXJ6 S1(1968年)
ジャガーがスポーツカーで注目を集めたのは確かだが、真の出世作となったのは初代XJ6だ。快適性、ハンドリング、洗練性においてあらゆる高級セダンを打ち負かしただけでなく、競合他社が「なぜこの価格で」と困惑するような価格を実現したのだ。
XJ6発売当時、ジャガーは財政難に陥っていたわけではないが、当時はブリティッシュ・モーター・ホールディングスの傘下にあり、混迷極めるブリティッシュ・レイランドの泥沼時代に両足を突っ込もうとしていた時期でもあった。そんな中、XJ6はジャガーを支え、その派生モデルはシリーズ3 XJ12として1990年代まで続いた。
1972年までに7万8218台が生産され、世界中の顧客に納車されている。「XJ」のラインは2019年までずっと続いてきたが、後継となる電動モデルはリリース直前にキャンセルされた。再びこの名前を目にするときが来ることを期待したい。
AMCグレムリン(1970年)
米国がマッスルカー全盛期に突入するなか、AMCグレムリンは控えめな時代の到来を予感させるかのようなモデルであった。ホーネットのプラットフォームをベースとし、4人乗りで快適性、スペース、走りの良さを備え、米国にサブコンパクトクラスを誕生させるきっかけとなった。また、フォードやGMのライバル小型車を抑えてショールームに並んだ。
グレムリンは3.3Lと3.8Lの直6エンジンを搭載しているので、「小型車」というのは違和感のある表現だが、新しい世代の消費者を開拓し、8年間で67万1475台も販売された。この結果、AMCは1980年代まで独立企業として存続し、クライスラーに飲み込まれるまで自動車を生産し続けたのである。
アルファ・ロメオ・アルファスッド(1972年)
スポーティな後輪駆動車はアルファ・ロメオの定番であったが、アルファスッドは発売前から特別な存在であった。前輪駆動のフラット4エンジンを小さなハッチバックボディに搭載するというアイデアを、フォルクスワーゲン・ゴルフより2年も早く実現していたのだ。アルファスッドという車名は、イタリアの南部ナポリにある新しい工場に由来しているが、そのために品質や耐久性に問題があった。
しかし、アルファスッドはすぐに、優れたハンドリングを持つハッチバックとして評判になる。イタリアでは一躍その名を知らしめたが、他国ではやや馴染みの薄いモデルであった。それでも、11年間の間に38万7734台が販売され、1980年代までアルファ・ロメオの経営を支え続けている。
画像 会社を救ったヒーロー的なクルマたち【VWビートルやメルセデス300SL、ポルシェ944などを写真で見る】 全80枚