ホンダシビック(1972年)

ホンダがシビックを発売したのは、自動車生産をやめて二輪車に専念しようと考えていた1972年のこと。それまでの小型車は日本以外ではほとんど売れなかったが、オイルショックの影響でより小型で経済的なクルマが求められるようになり、シビックは突如としてスポットライトを独占したのだ。

欧州の強豪フォード・エスコートがまだ後輪駆動で板バネを使っていたのに対し、シビックは前輪駆動を採用するなど徹底的に近代化された小型車であった。3ドアと5ドアのハッチバックがあり、1976年にはシビックと同じプラットフォームを採用したアコードを発売、こちらも成功を収めた。シビックは現在までに2000万台以上販売されている。

ホンダ・シビック(1972年)
ホンダ・シビック(1972年)

フォルクスワーゲン・ゴルフ(1974年)

フォルクスワーゲンはビートルに代わる主力モデルを模索しており、1974年に発表された前輪駆動のゴルフもその試みの1つであった。老舗のビートルが存続する一方で、ゴルフも独自に名声を獲得。ついにフォルクスワーゲンを空冷エンジンの縛りから脱却させた。また、パサートの開発資金を確保するなど、近代化に大きく貢献している。

ゴルフの発売当時、フォルクスワーゲンは資金難とは無縁だったが、ブランドを現在の姿に導く、まったく新しいアプローチの始まりだったのである。ゴルフがなかったら、今のフォルクスワーゲンはなかったかもしれない。

フォルクスワーゲン・ゴルフ(1974年)
フォルクスワーゲン・ゴルフ(1974年)

ヴォグゾール・キャバリエ(1975年)

1970年代半ば、ゼネラルモーターズの英国部門ヴォグゾールは衰退の一途をたどっていたが、キャバリエの登場により、ライバルのフォード・コルティナを本格的に追い詰めるほどの力を得た。発売当時、価格は2749ポンドに設定され、「あなたが望むパワー、あなたが必要とする経済性、そしてあなたが気に入る価格」と謳われた。

サスペンションとシャシーの大部分をオペル・マンタと共有しており、そのためハンドリングに優れ、エンジンも質素な1.3L 4気筒から元気な2.0L 4気筒まで幅広く用意された。

ヴォグゾール・キャバリエ(1975年)
ヴォグゾール・キャバリエ(1975年)

英国では23万8980台が販売され、消費者の愛国心をくすぐるために多くが国内(ルートン)で製造された。ヴォグゾールの法人向け販売を軌道に乗せ、後継のベクトラが登場するまでの20年間、ブランドの大黒柱となった。

ダッジ・オムニ(1978年)

ダッジの親会社であるクライスラーは1970年代半ば、やや苦しい状況にあった。商品力のある小型車がなく、AMCグレムリン、シボレー・ヴェガ、フォード・ピントにサブコンパクトクラスの座を奪われていたのだ。そこで欧州に目を向け、即席の対抗馬としてタルボット・ホライゾンを米国向けに改良・導入できないかと考えた。

ダッジはタルボットの欧州志向のエンジンを捨てて、1.6L、1.7L、2.2Lのガソリンエンジンを搭載するオムニを開発した。また、走り好きのドライバーを満足させるために、ターボチャージャー付きの2.2Lエンジンも用意した。

ダッジ・オムニ(1978年)
ダッジ・オムニ(1978年)

クライスラーの経営陣もオムニの販売台数に満足しており、生産終了まで好調を維持した。不思議なことに、オムニが米国で発売されると同時に、破綻寸前のクライスラーが欧州事業を売却したため、タルボ・ホライズンはPSAグループ傘下のモデルとなった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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