自動車メーカーを危機から救ったクルマ 38選 後編 これがなければ潰れていたかも?
公開 : 2023.01.14 19:05
フェラーリF355(1994年)
F355が発表されたとき、フェラーリは財政難に陥っていたわけではなかったが、348の不人気のために評判が下がっていた。スーパーカーの代名詞のような存在であるフェラーリにとって、対策を打たなければならないタイミングであった。
どの角度から見ても完璧なスタイリングと、最高速度280km/hを発揮する380psの3.5L V8エンジンは、これ以上ない組み合わせであった。このF355によってフェラーリは再び王座に返り咲き、その名声を取り戻したのである。
F355は、わずか4年で348の約2倍にあたる1万1273台を売り上げた。フェラーリの知名度をより広げるとともに、その魅力を再認識させ、360以降の各モデルへの道を開いたのである。
アストン マーティンDB7(1994年)
1987年にフォードが買収に乗り出したとき、すでにアストン マーティンのオーナー交代劇は珍しいものではなくなっていた。フォードによるアストン買収は、ヘンリー・フォード2世が同年9月に亡くなる前に下した、最後の大きな決断であった。
フォードの資金と、才能あふれるキース・ヘルフェットおよびイアン・カラムのデザインによって、DB7は誕生する。しかし、フォードが経営権を握ってから7年後の1994年まで、会社の足元が安定することはなかった。
DB7は、その洗練されたルックスとスーパーチャージャー付き3.2L 6気筒エンジンの性能、そして何より7万8500ポンドからという価格設定が功を奏し、たちまちヒット商品となった。決して安くはなかったが、それまでなかったアストン マーティンというブランドへの「入口」を作ることに成功したのだ。その結果、商業的に大成功を収め、すべてのバリエーションで7000台を超えるDB7が販売され、今日我々が知るような会社の再興が実現したのである。
MGF(1995年)
MGBベースのRV8が生産を終了した1995年には、MGは歴史の教科書に載るほど古いブランドとなっていた。そこで登場したMGFは、ブランドに新しい命を吹き込んだだけでなく、マツダ・ロードスターに戦いを挑んだのだ。ミドマウントの合金エンジンやハイドロガスサスペンションなど、多くの点で先進的なクルマであった。
時代にマッチしたMGFは、価格も手頃で、7万7269台が売れた。しかし、米国ではディーラー網がないため販売されていない。MGは、1950年代から1960年代にかけて、全販売台数の約半分(数十万台)を占めた米国でのビジネスチャンスを逃してしまったのである。
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