自動車メーカーを危機から救ったクルマ 38選 後編 これがなければ潰れていたかも?

公開 : 2023.01.14 19:05

ビュイックGL8(2000年)

ビュイックの歴史は1908年にまで遡るが、GL8を中国で発売する2000年頃には、すっかり影を潜めていた。シボレー・ベンチャー(欧州ではオペル/ヴォグゾール・シントラと呼ばれる)をベースにしたGL8は、最先端とは程遠いものだったが、キャビンの快適性と広さ、そしてふんだんに使われたウッドとレザーが、中国市場に響いた。

2000年に中国で発売されると、急速にビジネス・オーナーの間で人気のクルマとなった。ビュイックは中国で自動車を製造した最初の外国企業の1つであり、早くから市場に参入していたことも人気の理由となった。

ビュイックGL8(2000年)
ビュイックGL8(2000年)

GL8は、手頃な価格の高級車メーカーというビュイックのイメージを確立し、現在でもその地位を保っている。ビュイックは2018年に中国で106万台を販売し、米国の自動車ブランドとしては同市場で最も成功していると言っても過言ではない。

ボルボXC90(2002年)

2002年当時のボルボの経営は、うまくいっていたようだ。しかし、XC90の発売で、販売台数は急激に増加する。XC90はそのスカンジナビア・スタイル、快適性、安全性が高く評価され、すぐに納車できないほどの注文が入った。

SUV市場が日増しに拡大していた時期であり、ボルボは上手くその波に乗ることができた。ダグ・フラッシャーによる端正なデザインは、今日まで続くラインナップの基調を作り、立派ではあるが少々地味だったボルボを、世界で最も望まれる会社の1つに変えた。

ベントレー・コンチネンタルGT(2003年)

2003年、ベントレー・コンチネンタルGTほど英国人が待ち望んだクルマはないだろう。ベントレーはそれまで年間1000台程度しか生産していなかったが、新たに親会社となったフォルクスワーゲン・グループがこの状況を改善するために生んだのがこのクルマだ。

流線型のクーペルック、4シーターのキャビン、そして最高出力560psのツインターボ6.0L W12エンジンのおかげで、まさに理想的なベントレーとなった。発売前に3200人もの顧客が予約金を支払ったのも不思議ではない。

ベントレー・コンチネンタルGT(2003年)
ベントレー・コンチネンタルGT(2003年)

コンチネンタルGTに搭載された四輪駆動システムも、ベントレーにとって初めての試みであった。このため、年間を通じて日常的に運転されるようになり、ショールームには多くの人々が訪れた。

発売初年度は6896台が販売され、コンバーチブルのGTCを含む4万台以上が生産された。コンチネンタルGTがなければ、ベントレーは歴史の教科書に載るだけの英国ブランドになっていたことだろう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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