30馬力でも半端ないスピード感 ジャンニーニ500 TV アバルト695 SS 凝縮された楽しさ 前編

公開 : 2023.01.22 07:05

入念なチューニングが施された、2台のヌォーヴァ500。笑いが止まらないほど楽しいクラシックを、英国編集部がご紹介します。

30馬力程度でもスピード感は半端ない

日が暮れて、文章をまとめる手を休める。今回ばかりは思い出し笑いが止まらない。小さなイタリア車を人影の少ない郊外の道で飛ばしたら、素晴らしい印象を残さないわけがない。モータースポーツを強く意識したモデルなら、なおのこと。

路面へ吸い付くように、流暢に駆け抜けるアバルト695 SS。運転している側としては、そんな実感は余り湧かない。それでも、明らかにベースのフィアット500とはかけ離れた走りで、神経質さは微塵もなかった。

ナローボディのジャンニーニ500 TVと、ワイドボディのアバルト695 SS
ナローボディのジャンニーニ500 TVと、ワイドボディのアバルト695 SS

それを追うように、同じくらい小さなジャンニーニ500 TVがカーブへ突っ込んでいく。タイミングと勢いが重要。1度ペースが狂うと、もとに戻るまで短くない時間が掛かる。気遣いも必要になる。

何しろ、ドライバーの後方から放たれるのは30馬力程度しかない。それでもスピード感は半端ない。

タイトコーナーでも、見通しが良ければ殆ど減速する必要はなし。右足をバルクヘッドめがけて踏ん張ったまま、シャープに旋回していく。得もいわれぬ無敵感を抱ける。

丸くて小さな2台のハッチバックは、かつてのイタリアで激しい火花を散らした。一方は国内のアフターマーケット・チューニング市場を席巻し、代表するブランドの1つに登りつめた。もう一方は、その最大のライバルだった。

とはいえ、アバルトは1958年からフィアットと公式に手を結んでいた。ジャンニーニにとっては、少々形勢は不利だった。

戦いへ勝つためのチューニングパーツ

オーストリアに生まれたカルロ・アバルト氏は、自らを表現するマークとしてサソリを選んだ。戦争が終わり、欧州が瓦礫の山から復興に向けて立ち上がった1945年、オートバイレーサーは現役を退いていた。だが、技術者としての才能は揺るがなかった。

サッカー選手でもあったピエロ・デュシオ氏のために、グランプリマシンの制作に招聘されたが、計画はうまく進まずカルロは早々に辞退。自己中心的でもあった彼は、自らのビジネスをスタートさせた。

アバルト695 SS(595ベース/1964年/欧州仕様)
アバルト695 SS(595ベース/1964年/欧州仕様)

カルロが何より愛したのが、モータースポーツ。北部のトリノにアバルト&C社を立ち上げ、フィアットやフランスのシムカのために、特別なエグゾーストやマニフォールドなどのチューニングパーツを作り始めた。戦いへ勝つために。

彼は、マーケティングやプロモーションといった販売戦略の重要性を理解していた。ビジネスマンとしての手腕に長けていた。フィアットと直接的に契約を結び、ライバルの追従を許さなかった。

フィアットでレースに勝つ度に、アバルト&Cへ報奨金が支払われた。ベースとなったマシンにはイタリア市民の足、ヌォーヴァ500(2代目500)も含まれていた。

アバルト&Cは1957年の発売当初から、ヌォーヴァ500へチューニングを施していた。最初に提供されたメニューは、479cc空冷直列2気筒エンジンの最高出力、7psを21psへ引き上げる内容だった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ヘーゼルタイン

    Richard Heseltine

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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