シトロエンDS(1955年)

ジャガーはディスクブレーキをレーシングカー(Cタイプ)に搭載した最初の自動車メーカーだが、これを公道に持ち込んだのはシトロエンのDSであった。フロントにパワーアシストのインボードディスクブレーキを採用したDSは、それまでのクルマにはない制動力を発揮した。ディスクブレーキは瞬く間に普及し、1年後にはトライアンフのTR3にも採用された。

シトロエンDS(1955年)
シトロエンDS(1955年)

ミニ(1959年)

ミニに使われた技術や部品の多くは、すでに他車でも見られるもので、特別だったわけではない。しかし、横置きエンジンと前輪駆動を採用することで、手頃な価格で優れたパッケージを実現したのである。1959年の登場後まもなく、超小型のマイクロカー市場は消滅した。ミニはより大きく、より良いものを、より低価格で提供したからである。

ミニ(1959年)
ミニ(1959年)

シボレー・コルヴェア(1960年)

シボレー・コルヴェアは、悪い意味での影響力を持ったクルマである。リアサスペンションの設計に手を抜いたため、走行中、急な操作を行うと制御を失う危険性があったのだ。社会活動家のラルフ・ネーダーはこれを受け、自動車の安全性を高めることを自らの使命とした。

彼の著書『Unsafe at any speed(どんなスピードでも自動車は危険だ)』は、自動車の設計・製造に関する規則を強化する米国道路交通安全局(NHTSA)の設立につながった。

シボレー・コルヴェア(1960年)
シボレー・コルヴェア(1960年)

ボネ・ジェット(1962年)

1958年、初めてミドエンジンのF1マシンがグリッドに並んだ。その4年後、フランスのボネはミドエンジン方式を市販車に初めて採用し、完璧なバランスを持つジェットを作り上げた。

コンポーネントはすべてルノーから流用してコストを抑え、軽くて繊細なグラスファイバー製ボディにより優れた敏捷性を確保した。これ以降、多くのスポーツカーがミドエンジン方式を踏襲することになる。

ボネ・ジェット(1962年)
ボネ・ジェット(1962年)

フォードマスタング(1964年)

マスタングは、購入者の懐具合や好みに合わせてカスタマイズできる手頃なスポーツカーであったため、若者が初めて乗るクルマ、すなわちポニーカーとして親しまれるようになった。1964年に発売されると、すぐに大ヒットし、競合他社もその勢いに乗ろうと次々とライバル車種を開発するようになった。太平洋を隔てた欧州大陸でも、マスタングを欧州流に再現したカプリが人気を博した。

フォード・マスタング(1964年)
フォード・マスタング(1964年)

ポンティアックGTO(1964年)

60年代の米国車といえば、V8エンジンを搭載した筋肉もりもりのクーペを思い浮かべるだろう。つまり、マッスルカーである。その始まりは、1964年のポンティアックGTOだ。

当初、GTOというのはテンペストのオプション・パッケージに過ぎず、独立したモデルではなかったが、1966年になると個別のモデルとして売られるようになった。やがて、マッスルカーを中心に米国自動車産業が盛り上がっていくことになる。

ポンティアックGTO(1964年)
ポンティアックGTO(1964年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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