V型4気筒にモノコックボディ ランチア・ラムダ 100年前の革命児 体験を一変 前編

公開 : 2023.01.29 07:05

ランチアの創業者、ヴィンチェンツォが100年前に完成させたラムダ。自動車の発展に貢献した名車を、英国編集部が振り返ります。

モノコック構造とV型4気筒のラムダ

100年前のランチアは、現代の革新的なモデルとは比べ物にならないインパクトを持っていた。1922年のパリ・モーターショーで発表されたラムダは、それまでの自動車に対する概念を書き改めたといってもいい。

エンジンとサスペンション、数名の乗員、走行時の負荷を一手に受け止めたモノコック構造は、セパレートシャシー構造が一般的だった時代の革命児だった。世界初の、独立懸架式となるフロント・サスペンションも同様だろう。

ランチア・ラムダ・エイト・シリーズ・トルピード・ツアラー(ティーポ224/1928〜1931年/欧州仕様)
ランチア・ラムダ・エイト・シリーズ・トルピード・ツアラー(ティーポ224/1928〜1931年/欧州仕様)

前後のアクスルにはブレーキも組まれていた。エンジンは高性能なオーバーヘッドカムのV型4気筒。他に類を見ないパッケージングによって、1920年代のドライビング体験を一変させた。

確かに1913年のラゴンダは、オールスチール製のモノコックシャシーを採用していた。1899年には、デイムラーがコンパクトなV型エンジンを開発していた。だがランチアは、これらを1台に融合し完成させていた。

ロンドンの西、ハートレー・ウィントニーの町に拠点を置くフェニックス・グリーン・ガレージ社は、そんな歴史的なクラシックカー・オーナーが集まる場所。定期的にランチア・ラムダを集めたミーティングも開かれている。

そこで今回は、ラムダ・エイト・シリーズ・サルーンとトルピード・ツアラーという2台へ試乗する機会を得た。さらに、ヒストリック・モーターカー・ワークショップ社へ場所を移し、フォー・シリーズも体験させていただいた。

軽さと強さが走行性能に貢献する

同一モデルのシリーズ違いは、変化が限定的な場合も多い。いわゆるマイナーチェンジでの違いに近い。だが、前期型と後期型へ大きく分けられるフォー・シリーズとエイト・シリーズでは差が小さくない。9年でナイン・シリーズまで進化を遂げている。

デザイナーのピニン・ファリーナ氏は、ブランド創業者のヴィンチェンツォ・ランチア氏が大西洋を渡る船の構造に影響を受けたと、後に話している。レーシングドライバーでもあった彼は、軽さと強さが走行性能に大きく貢献することを理解していた。

ランチア・ラムダ・フォー・シリーズ・トルピード・ツアラー(ティーポ214/1924〜1925年/欧州仕様)
ランチア・ラムダ・フォー・シリーズ・トルピード・ツアラー(ティーポ214/1924〜1925年/欧州仕様)

1910年のランチアのカタログには、次のように記されてる。「重さは強さとは異なります。不完全な設計や安価な材料が導くことも珍しくありません。軽く速く、頼れる自動車の強みは過小評価できません」

ラムダが誕生する4年前、1918年にランチアはモノコックボディ構造の特許を申請した。プロペラシャフトが中央を走るトランスミッション・トンネルを備え、その両側には乗員の足もとへ余裕をもたせる窪みが与えられていた。

このボディは、剛性シェルと特許図面では呼ばれていた。アクスルより下側へ空間を広げ、強度を増す事が可能だとも記されている。

この事実を受け、「興味深い特許です。安全性やロードホールディング性、サスペンション設計の改善に効果的なだけでなく、重量の大幅な削減も期待できます」。と、当時のAUTOCARはラムダを予見したように紙面で紹介している。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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