Jr.スーパーカーの煌き フェラーリ328 ランボルギーニ・ジャルパ ロータス・エスプリ 3台を比較 前編
公開 : 2023.02.05 07:05
1度の倒産を挟んで続けられた進化
一方で、当初はフェラーリの得意客であり、後に最大のライバルへと成長したランボルギーニを立ち上げたフェルッチオ・ランボルギーニ氏は、早い段階でジュニア・スーパーカーの構想を練っていた。道のりは、平坦ではなかったけれど。
1970年のトリノ・モーターショーで観衆を沸かせた、小ぶりなランボルギーニ・ウラッコは、少なくない妥協の末、1972年に量産がスタート。販売拡大を狙い、同じくマルチェロ・ガンディーニ氏がスタイリングを手掛けた、1976年のシルエットへ発展した。
しかし、1970年代には2度のオイルショックが到来。経営に悩んでいたフェルッチオは、スイスの実業家、ジョルジュ・ロセッティ氏とレイネ・レイマー氏へ自社の売却を決断する。ところが1978年、ランボルギーニは倒産へ追い込まれてしまう。
1度イタリア政府の管理下に陥るものの、フランスの実業家、パトリック・ミムラン氏が買収。カウンタックだけでなく、ジュニア・スーパーカーのアップデートも含めた、新しい事業計画が進められた。
シルエットをベースに開発されたジャルパは、1981年3月のジュネーブ・モーターショーで発表される。多くの期待とともに、遅れながらも同社は量産へこぎつけた。
小柄で軽いロータスの伝統を守ったエスプリ
その頃、グレートブリテン島のロータスは、スポーツカーとしての本質を追求し続けていた。反面、大量生産と品質管理という、現代的な自動車市場の要求へ応えることには苦労していた。
エンツォと同様に、ロータスを創業したコリン・チャップマン氏もモータースポーツへ注力。当初の公道用モデルはその活動資金の獲得が目的で、開発には余り乗り気ではなかったという。
それでも、有能な技術者たちの努力によって、新しいミドシップ・スーパーカーというアイデアは実現へと進んでいった。イタルデザインによる、近未来的なスタイリングをまとって。
エスプリは、間違いなくロータスの伝統を守っていた。適度に小柄で、軽く、充分な動力性能を備えていた。細々とした生産体制と販売ネットワークという、望ましくない側面も一緒に受け継いでいたけれど。
チャップマンはエスプリで北米市場への進出を果たしたが、量産モデルとして調子を掴んだのは、1982年12月の彼の逝去後。ブリティッシュ・カーオークション社を立ち上げたデビッド・ウィッケンス氏による、リーダーシップに寄るところが大きい。
1986年にゼネラル・モーターズの傘下へ収まり安定した環境を得ると、エスプリはX180型へと進化を果たした。ニューシェイプと呼ばれる、ピーター・スティーブンス氏によるスタイリングをまとって。
この続きは中編にて。
画像 Jr.スーパーカー フェラーリ328 ランボルギーニ・ジャルパ ロータス・エスプリ 同時代の他モデルも 全124枚