ロールス・ロイス・エンジンで対抗 ヴァンデンプラ 4リッターR ジャガーSタイプ 3.4 最高峰のサルーン 前編

公開 : 2023.02.18 07:05

共同でベントレーのサルーンを開発

ロールス・ロイスとの協力関係は、1960年代初頭に始まっていた。当初は、安価に生産し多売できる、ベントレー・ブランドのサルーンを開発することが目的だった。オースチンA110などと同じ、ADO10と呼ばれるボディシェルをベースに。

そのプロジェクトでは、2台のプロトタイプが製作されている。1台にはベントレーのフロントグリルを装着。もう一方には、ロールス・ロイスの4速オートマティックが組まれた。動力性能は悪くなく、高速道路の試走では186km/hを達成したという。

ヴァンデンプラ・プリンセス 4リッターR(1964〜1968年/英国仕様)
ヴァンデンプラ・プリンセス 4リッターR(1964〜1968年/英国仕様)

しかし、ベントレーへ相応しい製品に仕上げることは、簡単ではなかった。1962年10月まで開発は続けられたが、ロールス・ロイス側は目立ったメリットを見いだせず、計画は中止されてしまう。ブランドの評価が下がることも恐れていただろう。

他方、BMC側はそのまま手を引かなかった。1964年8月に、ロールス・ロイスのエンジンを載せたヴァンデンプラ・プリンセス 4リッターRを生み出したのだ。

仕様は悪くない。パワーステアリングと、アメリカから輸入されたボルグワーナー社製の3速オートマティックが標準装備。ロールス・ロイスの強力なエンジンで、180km/hという最高速度を得ていた。

Cシリーズと呼ばれた直列6気筒を搭載したプリンセス 3リッターより、英国価格は5割も上昇していた。それでも、ライバルのSタイプより僅かに高額なだけだった。しかもジャガーは、パワーステアリングとオートマティックをオプションにしていた。

動力性能はロールス・ロイス級

FB60型と呼ばれるエンジンは、本来は軍用車両に開発されたもの。プリンセス 4リッターRに載ったのは、改良を加えたショートストロークの量産仕様で、油圧タペットに7枚のメインベアリングを採用。3909ccから177psの最高出力を発揮した。

0-97km/h加速は12.7秒。静止状態から45秒で160km/hに到達でき、動力性能としてはまさに当時のロールス・ロイス級だった。5.0km/L前後という、振るわない燃費も。

ヴァンデンプラ・プリンセス 4リッターR(1964〜1968年/英国仕様)
ヴァンデンプラ・プリンセス 4リッターR(1964〜1968年/英国仕様)

信頼性の向上も期待され、1964年は1910台、1965年は4000台と、プリンセス 4リッターRは好調に売れた。ところが、冷却水漏れやアルミ製ブロックとシリンダーヘッドを固定するボルトが抜けるなど、問題が多発。エンジンの質感も当初は良くなかった。

それが広く知られるようになると、販売数は急落。モデル末期の1967年には、200台へ留まっている。飛行場の空き地には、1400台の買い手の付かないクルマが野ざらしにされたそうだ。

当時、BMCの代表を努めていたレナード・ロード氏も、運転手付きでプリンセス 4リッターRに乗っていた。だが、少なくない批判を受けて「BMC 1」というナンバーをクルマから外している。モデルは改良が加えられながら、1968年5月に生産を終了した。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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