フォード F1復帰にまつわる物語 波乱に満ちた歴史と伝説のDFVエンジン

公開 : 2023.02.07 06:05

ホンダの役割とDFVエンジン

今回のフォードの発表を前に、レッドブルとそのスタードライバーであるマックス・フェルスタッペンが、ホンダのパワートレインで2022年の世界チャンピオンを獲得した。ホンダは、フェルスタッペンを2021年の初優勝に導いた後、正式にF1から撤退し、知的財産権(IP)をレッドブルに渡したが、昨シーズンはチームの独立を支援するために重要なサポート役を果たした。

ホンダがUターンし、レッドブルとの提携が再開されるという話もあった。しかし、フォードは苦労の末に得た経験を生かし、進化したパワートレインを供給することになる。そ んなことはプレスリリースには書かれていなかった。

DFVエンジンのエコー

1969年シルバーストンGPで、マトラ・フォードのマシンで優勝したジャッキー・スチュワート
1969年シルバーストンGPで、マトラ・フォードのマシンで優勝したジャッキー・スチュワート

しかし、それは重要なことだろうか? レッドブル・フォードが2026年以降に世界タイトルを獲得すれば、問題にはならない。フォードがすべてのモータースポーツに最大の貢献をした1960年代と70年代にも、それは重要ではなかった。1967年から1983年にかけて、フォード・コスワースDFV(Double Four Valve)V8エンジンは155のグランプリを制し、12のドライバーズタイトルと10のコンストラクターズタイトルを獲得するなど、比類なきF1エンジンとしてその名を轟かせた。

だが、このエンジンが存在し、フォードのエンブレムを背負っていたのは、英国のプレス担当者が、コーリン・チャップマンとキース・ダックワースの才能の組み合わせによってもたらされたチャンスを直感的に理解していたからにほかならない。ウォルター・ヘイズがいなければ、フォードはDFVの開発に必要な10万ポンドを出すことはなかっただろう。この10万ポンドは、モータースポーツ界、いや、自動車界全体にとって最高の10万ポンドとなった。フォードのバッジをつけたDFVは、1970年代に広く普及した。

しかし、DFVはミシガンから遠く離れ、ノーサンプトンを拠点とするコスワースや、ニコルソン・マクラーレン、ジャッドといった英国のインディーズチューナーの精鋭たちが中心となって、その物語を紡いでいくのである。彼らは、1967年当時、チャップマン、ダックワース、ヘイズでさえ想像できなかったほど、V8の寿命を延ばした。

F1では、見かけ通りのことはほとんどない。これまでもそうだった。しかし、重要なのはそのストーリーであり、フォードはその中でも最高の、しかし最も波乱に満ちたものの1つである。そこに新たな命を吹き込んだ幹部たちに賛辞を送りたい。ただし、気を引き締めたほうがいい。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ愛知在住。幼少期から乗り物好き。住宅営業や記事編集者といった職を経て、フリーランスとして自動車メディアで記事を書くことに。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。

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