実現しなかったスーパーカー 45選 前編 文字通り「夢」に終わった幻のコンセプト
公開 : 2023.03.26 18:05
フェラーリ・モデューロ(1970年)
フェラーリ史上最も未来的な外観を持つモデューロは、25台が生産されたスポーツレーシングカー、512 Sをベースとする。競技生活を終えた1台がピニンファリーナに譲渡され、パオロ・マルティン氏(1943年生まれ)によって改造された。マルティン氏は、4本の車輪をほぼ完全に覆い、従来のドアの代わりにスライド式のガラスキャノピーを備えた、極めて低いウェッジシェイプボディを考案した。
モデューロはあくまでショーカーのつもりだったが、あまりにも人々の印象に強く残り、初登場から40年以上を経てレストアされ、2018年に初めて公道を走った。
フォードGT70(1970年)
GT40がル・マンで圧倒的な成功を収めた後、GT70は急激な変化を遂げた。GT40のV8エンジンを、エスコートRSから流用した1.6L 4気筒エンジンに換装したラリーカーである。シャシーの重心を低くするために、小型のユニットが採用されたのだ。
GT70のドライバーにはラリー界のエース、ロジャー・クラーク氏が起用され、1971年のフランスのロンド・セブニョール・ラリーに出場した。しかし、信頼性に問題があり、フォードも乗り気でなかったため、わずか6台作られただけでプロジェクトは中止となった。
モンテベルディ・ハイ(1970年)
スイスのガレージオーナー、ピーター・モンテヴェルディ氏は、ハイスピードモデルで小さな成功を収めていたが、ハイ(Hai)ではあらゆる意味でさらなる進化を遂げたいと考えていた。ランボルギーニ・ミウラに匹敵するミドエンジンのスーパーカーで、最高出力450psの7.2Lヘミ・エンジンを搭載。最高速度は280km/h、0-97km/h加速は5.5秒と、当時としては驚異的な数字を記録した。
しかし、いざ量産に移行しようとしたとき、スーパーカー製造のコストと求められる技術力の高さという現実を突きつけられることになった。2台のプロトタイプが作られ、ジュネーブ・モーターショーの展示車も現存しているが、「夢」の粋を出ないものであった。
ヴォグゾールSRV(1970年)
XVRとSRVが作られたタイミングはわずか4年の差であったが、SRVはまるで違う時代の産物であった。全高1050mm、横置きミドマウントエンジン(実際にはモックアップ)を搭載する4シーターだ。ドアも4枚あるが、2枚しかないように見せる工夫も施された。
デザインチームを率いたのはウェイン・チェリー氏(1937年生まれ)で、彼は何年も経ってから「もしもう一度やるとしても、何も変えないだろう」と語っている。