アウディ・アヴス(1991年)

ベルリン近郊のアヴス・サーキットは、アウトバーンの2本の車道にヘアピン(片方は急勾配のバンク)を設けただけのもので、史上最速のサーキットの1つであった。1930年代のレーシングカーは、平均270km/h以上で集会することができた。

アウディが1991年に発表したスーパーカーにふさわしい名称であろう。アウディは、開発中の2つの機能を盛り込んだ。1つは、3年後のA8で採用されたアルミニウム構造。もう1つは、3気筒×4バンクの6.0L W12エンジンのモックアップである。2001年に登場したA8は、市販車として初めてこのW12を搭載した。

アウディ・アヴス(1991年)
アウディ・アヴス(1991年)

BMWナスカM12(1991年)

別の世界線では、ナスカM12がBMW M1の後継車になっていたかもしれない。両車とも基本的なレイアウトは同じだが、ナスカM12はより丸みを帯びたデザインで、テールはほぼフルフラットだった。パワートレインは、750iと850iに搭載されていたBMW初のV12エンジン、最高出力300psの5.0Lユニットを採用した。

ナスカM12は、ほぼ生産可能な状態にあり、ナスカC2、C2スパイダーと続いたが、結局コンセプトの段階を超えることはなかった。

BMWナスカM12(1991年)
BMWナスカM12(1991年)

メルセデス・ベンツC 112(1991年)

ライバルであるアウディやBMWと同様に、メルセデス・ベンツも1991年にスーパーカーのコンセプトを公開している。C 112は、サスペンション、ステアリング、エアロダイナミクス、タイヤ空気圧をアクティブに制御するテストベッドであり、アダプティブ・クルーズコントロールや、1950年代の300 SLを意識した電動油圧式ガルウィングドアも搭載されていた。エンジンは、Sクラスに導入されたばかりの6.0L V12である。

伝えられるところによると、メルセデスは価格度外視で700台の注文を受けたというが、方針が変わることはなく、C112はコンセプトカーにとどまった。

メルセデス・ベンツC 112(1991年)
メルセデス・ベンツC 112(1991年)

ヤマハOX99-11(1992年)

ヤマハOX99-11は、市販F1マシンとまではいかないが、日本が誇るF1エンジン製造のノウハウを存分に生かしたモデルである。3.5L V12エンジンは現代的なレイアウトで、最高出力400ps/1万rpmと、F1マシンとさほど変わらなかった。

また、ベースとなるカーボンファイバー製チューブやセンタードライビングポジションもレースから応用したものだ。同時期のマクラーレンF1と同じドライビングポジションだが、OX99-11では運転席の後ろに助手席をタンデム配置している。結局、ヤマハと英国のエンジニアリング会社IADとの対立、そしてバブル崩壊が重なり、3台のプロトタイプが作られただけで終わってしまった。

ヤマハOX99-11(1992年)
ヤマハOX99-11(1992年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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