離島で生き延びるクラシック フォード・カプリ MGBロードスター フィアット500ほか 後編

公開 : 2023.04.23 07:06

ジブラルタル海峡の遥か西、ポルトガル領マデイラ島で生き延びるクラシックカー。英国編集部が、個性的な数々をご紹介します。

ヒルマン・ミンクス(1956年)

オーナー:マファルダ・フレイタス氏

海洋生物学者のマファルダは、ミント・グリーンとホワイトの鮮やかなヒルマン・ミンクスに夢中だという。ただし、運転には腕力が必要だと苦笑いする。「ステアリングホイールが重いので、身体が鍛えられます。ジムへ行くのと同じくらい」

ヒルマン・ミンクス(1956年)と、マファルダ・フレイタス氏
ヒルマン・ミンクス(1956年)と、マファルダ・フレイタス氏

前オーナーは、マデイラ諸島の1つ、ポルト・サント島に住んでいた祖母だったという。「幼い頃は、彼女の運転で家族と一緒にビーチへドライブしました。兄弟が多かったので、ベンチシートにずらりと並んで」

しばらくして、ミンクスはスクラップ置き場へ運ばれた。「15年前に父がポルト・サントへ訪れたとき、クルマが放置されている事に気づいたんです。そこで購入し、マデイラまで運びレストアしました」

名義は父のままだが、マファルダはミンクスの運転を誰より楽しんでいるという。過去には、2日間の日程で開かれたアラウンド・マデイラ・ラリーにも参戦した。「スピードメーターが壊れていて、今は一定速度で走るイベントに出られないんです」

オースチンA40 デヴォン(1949年)/フィアット850(1965年)

オーナー:ジョエル・ラモス氏

マデイラ島に住んでいた英国人から、1976年にオースチンA40 デヴォンを購入したというジョエル。島に現存する2台の1台を、とても大切にしている。

オースチンA40 デヴォン(1949年)と、ジョエル・ラモス氏
オースチンA40 デヴォン(1949年)と、ジョエル・ラモス氏

「4速マニュアルに重ステで、油圧ブレーキはフロントのみ。リアは自転車のようにケーブルで挟みます」。と笑顔で話すジョエル。板金工場で塗装職人として働いていた彼は、ほかにもフィアット850と600 Dも所有している。

「右ハンドル車なので、右側通行のマデイラでは少し運転しにくいと思います」。と認める彼だが、月に1度は特別な機会としてA40 デヴォンを走らせるそうだ。

荷室には、いつもピクニック・バスケットが積まれている。定期的に家族と一緒に山道を走らせ、ピクニックに出かけるのが楽しみだという。「素晴らしいクルマです。所有しているだけで喜びですね」

プジョー403(1958年)

オーナー:パウロ・ゴメス氏

プジョー・ディーラーで長年働いてきた経験が、クルマの趣味にも影響したパウロ。「プジョーが大好きです。39年もこのブランドに関わってきたことだけが理由ではないと思いますよ」

プジョー403(1958年)と、パウロ・ゴメス氏
プジョー403(1958年)と、パウロ・ゴメス氏

100万台も生産された403は以前から気になっていたが、入手するまでには短くない時間を要した。前オーナーが403でディーラーを訪れたのは1980年代半ば。気持ちを伝え続け、パウロは15年後の2001年に願いを叶えた。

彼が入手すると、徹底的なレストアをスタート。アルゼンチンからフロアマットを取り寄せるなど、世界各国へ情報を求め、2年を費やして完成させた。

「運転しやすくて、とても快適です。トランスミッションにはシンクロがないので、変速にはコツが要ります。スターターではなく、クランク棒でエンジンを始動させる必要もあります。難しくありませんが、注意しないと手首を痛めるかもしれません」

にこやかに話すパウロは、1971年式のプジョー504 クーペも所有している。それも気に入っているが、積極的に乗るのは403らしい。「風の強い急斜面でも、小気味よく走ってくれますからね」

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    リチャード・ウェバー

    Richard Webber

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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