離島で生き延びるクラシック フォード・カプリ MGBロードスター フィアット500ほか 後編

公開 : 2023.04.23 07:06

ライレーRMB(1948年)/ライレーRMC(1951年)、ライレーRMD(1950年/1951年)

オーナー:ジェラルド・ブレッターバウアー氏

「ライレーのマニアなんですよ」。と自認するのは、マデイラ島に移住したオーストリア人のジェラルド。5台のライレーを所有しており、2台はレストアの真っ最中らしい。

ライレーRMC(1951年)と、ジェラルド・ブレッターバウアー氏
ライレーRMC(1951年)と、ジェラルド・ブレッターバウアー氏

画家を職業とする彼は、他のメーカーにも興味が尽きない様子。5台のシトロエン2CVと、ラーダ・ニーヴァの開発用プロトタイプも所有している。

「レッドのライレーRMDは、2009年にノースウェールズ州の警官から1000ポンドで購入しています。ポルトガルで登録された、初めてのライレーになったようです」

「作りが良くトルクも太い。唯一の弱点は、アクスルのハーフシャフトへヒビが入りやすいこと。エンジンが回転している時しか、冷却ファンが回らないことも悩みではありますね。エンジンが熱い状態で止めると、オーバーヒートしてしまうんです」

「停車後もしばらくエンジンを回し続ける必要があります。冷却のためにね」。とクラシックカーをいたわるジェラルドは、1951年式RMDのレストアへ時間を割いている。

お気に入りのライレーとして積極的に運転しているのは、グリーンのRMB。1948年式で、ネザーランド(オランダ)で買い付けたそうだ。

「わたしにとって初めてのクラシックカーが、これです。1番信頼性も高いようですね。リアアクスルは、RMF用のものを組んでいます。ライレーは、そのモデルからハーフシャフトの設計を改良したんです」

オースチンA40 ファリーナ(1958年)

オーナー:ティト・ノローニャ氏

歯科医として現役のティトは、患者として来院していたフランス語の先生からオースチンA40 ファリーナを購入した。夫が亡くなり、庭に放置されていたという。

オースチンA40 ファリーナ(1958年)と、ティト・ノローニャ氏
オースチンA40 ファリーナ(1958年)と、ティト・ノローニャ氏

「彼女がクルマを引き取って欲しいと頼んできたんです。タダでいいからと。購入後の数年間は、普段の足として毎日乗っていました」

しばらくして彼はA40 ファリーナを売却するが、大きな後悔を生んだ。「現代的なクルマを購入し、手放すことを決めました。でもオースチンのことが忘れられず、20年後にようやく再び買い戻す事ができたんですよ」

「いずれレストアしようと考えています。走行距離は3万km足らず。この島に存在する、唯一のA40 ファリーナでもありますからね」

プジョー404 デラックス(1965年)

オーナー:ルイ・フレイタス氏

不動産関連の仕事をしているルイは、プジョー404 デラックスを大切に維持している。1965年式で、フランスからマデイラ島にやって来たのは1966年だという。

プジョー404 デラックス(1965年)と、ルイ・フレイタス氏
プジョー404 デラックス(1965年)と、ルイ・フレイタス氏

初代オーナーは年齢を重ね、クルマは放置状態になっていた。ルイが購入したのは2010年。10年間も野ざらしになっていたらしい。

「レストアを終えるまで8年間も費やしました。部品はフランスのプジョーから取り寄せています。ドイツ車などと違って、古いフランス車の部品調達は簡単ではありません」

「サスペンションがしなやかで、乗り心地は快適。車内は広々としていて、信頼性も高いですね。昔は島内のタクシーの殆どが、403や404だった理由が良くわかります」。と話すルイは、毎月1度は走らせるようにしているという。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    リチャード・ウェバー

    Richard Webber

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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