マラネロ初の市販モデル フェラーリ166 MM 25台のバルケッタ 1948年のゲームチェンジャー(2)
公開 : 2023.04.30 07:06
身体の周りを空気が流れる忘れられない感覚
ジャンニは、デザインに対する審美眼を持っていた。シャシー番号0064Mのために注文されたボディは、25台作られたバルケッタで最も美しいディティールを持つといっていいだろう。
多くの顧客は、レース目的で走行性能を優先させた。しかし、彼はスタイリングの美しさに焦点を向けていた。
オリジナルからの変更点は、レザーストラップで固定されるエアインテークのないボンネットと、低いフロントガラス、水平方向のバーが強調されたフロントグリルなど。メタリック・グリーンとブルーのツートーン塗装も、0064M独自の特徴といえた。
そのフェラーリを、ジャンニがどの程度運転したのかは明らかではない。アニェッリ家では秘密にされており、本人が運転する写真も残っていないが、166 MMを深く気に入っていたことは間違いないようだ。
「ボディは軽く機敏。運転しやすく、ハイスピードでは身体の周りを空気が流れる、忘れられない感覚を与えてくれるんです」。と、後に彼は振り返っている。
「上半身はボディの外。マフラーにはサイレンサーがなかったので、サウンドも素晴らしかった。ブガッティを運転することも多かったですが、フェラーリはまったく違います。新世代のクルマといった感じでした」
ルーフやトノカバーが備わらないジャンニの166 MMは、トゥーリング社の美しいスタイリングを引き立てた。「天気の良い日にしか乗れませんでした」。とも認めている。ところが、そんな時間は長く続かなかった。
コンクール・デレガンスの招待状が殺到
フィアットのワゴンを運転中にトラックと衝突し、右足の切断へ迫られたジャンニは、166 MMを売却。その後、レーシングドライバーだったオリビエ・ジャンドビアン氏やジャン・ブラトン氏が所有し、サーキットで素晴らしい実力を発揮させた。
1952年から、ジャンニが手放した166 MMの販売とメンテナンスを請け負っていたのが、ガレージ・フランコルシャン社のジャック・スウォーターズ氏。自信も愛着を抱き、6度も販売しつつ、その都度別れを惜しんできた。
1967年、同僚がベルギー・アントワープのガレージに眠るシャシー番号0064Mを発見。ジャックが再び手入れを施すことは、必然といえた。
レストア作業は丁寧に、確実に進められ、ジャンニのツートーン・カラーは再生。その情報が知られると、世界各国からコンクール・デレガンスの招待状が殺到したという。ニューヨーク近代美術館での展示も打診された。
現オーナーのクライヴがこの166 MMを目にしたのは、イタリア・フィレンツェでの展示会。美しさに魅了され、ジャックに売って欲しいと願い出るも、断られ続けてきた。彼がこの世を去ると遺族の承諾が得られ、英国での暮らしが始まった。