ブリティッシュ・クラシック・マラソン2023、参加してみた 30周年「走る」イベント代表格

公開 : 2023.04.18 12:25

ワイルドからフォーマルのギャップを愉しむ

レーシーなオープンカーなどはドライバーとナビゲーターもびしょ濡れになってしまう。それでも1日目のラリーを終えた後は豪華なウェルカムパーティーが待っている。

泥っぽいドライビングスーツからフォーマルなウェアに着替えて臨むギャップもBCMの特徴であり、参加者たちがドライビングと同じくらい楽しみにしている時間でもある。

1日目のラリーを終えた後は豪華なウェルカムパーティーが待っている。
1日目のラリーを終えた後は豪華なウェルカムパーティーが待っている。

皆勤賞の常連も、「息子が免許を取ったから」と久しぶりに参加した親子も、そして「念願の愛車を手に入れたので!」という初参加の人も同じ趣味を持った仲間だ。

さらに今日1日のドライビングという共通の体験もあるので話題には事欠かない。またパーティも豪華な食事やお酒、バンド演奏など盛りだくさんの内容で参加者たちをもてなしてくれる。

初めて通る若狭湾のコーストライン

ブリティッシュ・クラシック・マラソンの30周年を祝福してくれているのか、2日のスタート直後から、天気予報に反して再び雨が降り出した。

2日目のコースで参加者たちを驚かせたのはトンネルを抜けた先に急に広がる若狭湾の海だった。

2日目のコース。若狭湾まで足を伸ばしたのは初めてのこと。単純な本州横断ではなく、ぐるりと円を描くように巡り、ゴールがある愛知県岡崎市の岡崎シビックセンターを目指した。
2日目のコース。若狭湾まで足を伸ばしたのは初めてのこと。単純な本州横断ではなく、ぐるりと円を描くように巡り、ゴールがある愛知県岡崎市の岡崎シビックセンターを目指した。

BCMの一団がここまで足を伸ばしたのは初めてのこと。単純な本州横断ではなく、ぐるりと円を描くように巡り、ゴールがある愛知県岡崎市の岡崎シビックセンターを目指したのだった。

表彰式では6位から順にカウントダウンしていく。そして800km以上にも及ぶ今回のラリーを制したのは1963年式のモーリス・ミニ・クーパーマーク1でエントリーした津久井隆、青山京平組。毎年上位に絡んでいたペアがついに頂点を奪取したのだった。

30年続くとアソビは文化に昇華する

表彰式が終わると、1台また1台とラリーカーたちが会場を後にしていく。それをスタッフたちが全員で温かく見送る姿もBCMの恒例となっている風景だ。

初回からこのイベントをオーガナイズしてきた宮地正史さんはブリティッシュ・クラシック・マラソンと共に駆け抜けてきた30年という時間を振り返り、「最初はモノ好きな人たちの集まりに過ぎなかったわけだけれど、30年続いたら文化と呼んでいいんじゃない? これは日本のブリティッシュ・クラシックカーの文化だよ」とつぶやいた。

800km以上にも及ぶ今回のラリーを制したのは1963年式のモーリス・ミニ・クーパーマーク1でエントリーした津久井隆、青山京平組。毎年上位に絡んでいたペアがついに頂点を奪取したのだった。
800km以上にも及ぶ今回のラリーを制したのは1963年式のモーリス・ミニ・クーパーマーク1でエントリーした津久井隆、青山京平組。毎年上位に絡んでいたペアがついに頂点を奪取したのだった。

その言葉を強く裏打ちするのは、毎年のように過酷なラリーを走り切り、泥っぽく逞しい表情になったクルマたちである。

人は歳を取るが、銘車とそれをフィーチャーした文化は連綿と受け継がれていくのである。

記事に関わった人々

  • 執筆

    吉田拓生

    Takuo Yoshida

    1972年生まれ。編集部員を経てモータリングライターとして独立。新旧あらゆるクルマの評価が得意。MGBとMGミジェット(レーシング)が趣味車。フィアット・パンダ4x4/メルセデスBクラスがアシグルマ。森に棲み、畑を耕し蜜蜂の世話をし、薪を割るカントリーライフの実践者でもあるため、農道のポルシェ(スバル・サンバー・トラック)を溺愛。
  • 撮影

    上野太朗

    Taro Ueno

    1991年生まれ。親が買ってくれた玩具はミニカー、ゲームはレース系、書籍は自動車関連、週末は父のサーキット走行のタイム計測というエリート・コース(?)を歩む。学生時代はボルボ940→アルファ・スパイダー(916)→トヨタ86→アルファ156→マツダ・ロードスター(NC)→VWゴルフGTIにありったけのお金を溶かす。ある日突然、編集長から「遊びにこない?」の電話。現職に至る。

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