ビュイックGNX(1987年)

「パフォーマンス」という言葉を聞いて、ビュイックを思い浮かべる人は少ないだろう。ゴルフ好きなら、ビュイックのキャディバッグを連想するかもしれないが。しかし、1980年代、ゼネラルモーターズ傘下のセミ・プレミアムブランドであったビュイックは、生活臭のあるリーガルをシボレーカマロよりも速く走らせたのである。

グランドナショナルは、ビュイックのNASCARレースでの成功を記念して1982年にデビューした。4.1L V6を採用したが、最高出力は125psにとどまる。1983年に一旦廃止されたが、1984年に3.8L V6ターボチャージャーを搭載し、200psの出力を得て復活。その後、徐々にパワーアップし、1987年に登場したGNXは、ビュイックで最もコレクターの多いモデルの1つとなっている。

ビュイックGNX(1987年)
ビュイックGNX(1987年)

限定モデルのGNXは、書類上では最高出力276psを謳っていたが、実際には300psに近い。ビュイックはシボレー・コルベットのイメージを守るために、性能数値を低く評価していたのである。これは、ゼネラルモーターズが競合他社のことを考えるよりも、身内のブランドのことを重視していた一例である。

キアエラン(1996年)

1990年代、徐々に自信を深めたキアは、ラインナップの最上位に位置するトップモデルを望むようになった。そこで、ロータススポーツカーの共同開発の話を持ちかけたところ、M100型エランの生産権を購入することになり、交渉は思わぬ展開を見せた。ロータス・エランとキア・エランの2台は外観こそほぼ同じだが、キアはセフィア(中型セダン)の最高出力151psの1.8Lエンジンを使っている。

当時、プライドのようなお買い得なエコノミーカーの代名詞だったキアにおいて、エランは大変奇妙な存在だった。結局、生産台数は1000台に満たなかった。そのほとんどは韓国で販売されたが、ごく少量が英国にも持ち込まれている。

キア・エラン(1996年)
キア・エラン(1996年)

メルセデス・ベンツAクラス(W468、1997年)

1997年のフランクフルト・モーターショーで、メルセデス・ベンツが初めてシティカー(小型車)を発表したことは大きな話題を呼んだ。スポーティでもラグジュアリーでもなく、ブランド初の前輪駆動プラットフォームに型破りなほど背の高いボディを載せている。初期のモデルは、80km/hで緊急回避運動を行う「エルクテスト」に不合格となり、それもまた大きな話題となった。

メルセデス・ベンツはAクラスの販売を3か月間停止した後、電子制御スタビリティコントロールの導入とサスペンションの変更によってこの問題を解決した。

メルセデス・ベンツAクラス(W468、1997年)
メルセデス・ベンツAクラス(W468、1997年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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