リンカーン・ブラックウッド(2001年)

ブラックウッドを作った理由は、「リンカーンがSUVを売れるなら、ピックアップトラックも売れるだろう」というものだった。フォードF-150をベースにしたブラックウッドは、ナビゲーターのようなフロントエンド、サイドのフェイクウッドパネルを持ち、カーペットを敷いた荷室は電動式のプラスチックカバーで隠されている。

しかし、リンカーン初のピックアップトラックは、消費者から懐疑的な目で見られた。後輪駆動しかなく、ピックアップトラックに求められる多機能性は全く無かったのだ。発売から1年余りで生産が終了し、リンカーン史上最も短命なモデルとなってしまった。

リンカーン・ブラックウッド(2001年)
リンカーン・ブラックウッド(2001年)

ポルシェカイエン(2002年)

ポルシェはカイエンを発表する数十年前から、オフロード車の製造に自信を持っていた。しかし、2000年代初頭まで、このプロジェクトを遂行するための資金がなかったのだ。ようやく完成したカイエンは、ポルシェにとって初の量産4ドアモデルであったが、それだけで純粋主義者は納得がいかなかった。

彼らはカイエンを嘲笑し、ル・マンにおける917Kの周回タイムよりも早くポルシェのブランドを壊してしまうだろうと推測した。しかし、カイエンは記録的なセールスを達成する。ポルシェが長年にわたって磨き上げてきたスポーツカー並みのパフォーマンスで、純粋主義者が間違っていることを証明したのだ。現在の3代目カイエンは、大型SUVクラスのドライバーの憧れの的である。

ポルシェ・カイエン(2002年)
ポルシェ・カイエン(2002年)

フォルクスワーゲン・フェートン(2002年)

フォルクスワーゲンは、定義上、人々のためのクルマ(国民車)である。しかし、BMWメルセデス・ベンツ、そして傘下のアウディと肩を並べようと、フェートンを発表した。ドレスデンのガラス張りの工場でベントレーのプラットフォームをベースに作られたフェートンは、豪華なアメニティ、パワフルなエンジン、それに見合った価格設定を持つ、型破りな高級セダンであった。

メディアの人間は、フォルクスワーゲンのエンブレムはBMWやメルセデス、あるいはアウディなどのエンブレムに比べ、それほど高い価値(ブランド)を持たないため、販売に苦戦するだろう予想した。その予想は正しかった。フェートンは米国で失敗に終わり、欧州でも良い結果を残せなかった。だが、フォルクスワーゲンは中国での販売好調を理由に、2016年まで生産を続けた。

フォルクスワーゲン・フェートン(2002年)
フォルクスワーゲン・フェートン(2002年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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