ウッドボディ+ハードトップ クライスラー・タウン&カントリー 当時はクラス最長で最高額 前編

公開 : 2023.05.20 07:05

1930年代後半に人気を博したウッディワゴン。流行を受け誕生した、ウッドボディのハードトップを英国編集部がご紹介します。

キャデラックとリンカーンに対峙

1940年、クライスラーはウッディと呼ばれる木製ボディのステーションワゴン市場へ参入した。タウン&カントリーで。近年は、SUVと乗用車を融合させたクロスオーバーが流行しているが、その先駆けといえるだろう。

高級車と実用車が融合したオシャレなウッディワゴンは、開拓地に伸びる鉄道駅での送迎や、富裕層が趣味で楽しむ狩猟の移動手段として人気を博した。特に、不動産の販売店や牧場のオーナーに好まれたようだ。

クライスラー・タウン&カントリー・ニューポート(1949〜1950年/北米仕様)
クライスラー・タウン&カントリー・ニューポート(1949〜1950年/北米仕様)

オフロードが得意というわけではなかったが、アメリカの大自然を雄大に走る、牧歌的なイメージを想起させた。仕留めたヘラジカをルーフに載せずとも、チェック柄のネルシャツにカウボーイ・ハットが良く似合った。

クライスラーは、本腰を入れてウッドボディの生産に取り組んだ。高い価格設定にも関わらず、ウッディワゴンのタウン&カントリーは、2000台ほどが生産されている。太平洋戦争が始まる直前まで。

終戦を迎えた1946年、「ロング、ロー、ラブリー」というキャッチコピーでタウン&カントリーが復活。ところが、富裕層のレジャー用が想定されたものの、ステーションワゴンは作られなかった。

エンジンは大排気量の直列6気筒と8気筒。ウッドボディを一部に用いた2ドアのコンバーチブルと、4ドアのサルーンが、少量生産されるに留まっている。

フラッグシップ・モデルに据えられ、ゼネラルモーターズのキャデラックと、フォードのリンカーンという、上級ブランドの競合モデルに対峙した。

戦前の雰囲気を漂わせるスタイリング

ウッドボディというアイデアは、既存モデルに新鮮味を与える手法として適していた。タウン&カントリーのずんぐりとしたスタイリングを、魅力的に感じさせた。

フロントグリルは格子状で横に長く、ハーモニカのようにも見える。最上級のクライスラー・インペリアル・ニューヨーカーにも似ていた。ふくよかなボンネットやフェンダーのラインは、戦前の雰囲気を漂わせた。

クライスラー・タウン&カントリー・ニューポート(1949〜1950年/北米仕様)
クライスラー・タウン&カントリー・ニューポート(1949〜1950年/北米仕様)

当時のクライスラーのルーフラインは、こんもりと高い。それは乗員がハットをかぶれる必要があると、社長のKT.ケラー氏が指示したためだった。

ゼネラルモーターズは、毎年のようにスタイリングをリフレッシュしており、クライスラーも応戦する必要があった。しかし有能なスタイリング部門は、カーデザイナーのヴァージル・エクスナー氏が加わるまで存在しなかった。

1930年代半ばに投入した流線型のサルーン、エアフローのスタイリングが急進的すぎ、経営を圧迫したことも慎重な姿勢を生む理由になっていた。クライスラーと、傘下のダッジ、プリマス、デソトは、退屈なデザインから脱却できずにいた。

戦後にタウン&カントリーが復活する時、ハードトップとロードスター、ブロアムという複数の展開が検討された。ハードトップは、試作車が7台生産されている。

それでも、実際にショールームへ並んだのは、4ドアのサルーンと2ドアのコンバーチブルのみ。ウッドボディが選ばれたことも含めて、生産能力の不足が理由だろう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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