ウッドボディ+ハードトップ クライスラー・タウン&カントリー 当時はクラス最長で最高額 前編
公開 : 2023.05.20 07:05
基本設計が1920年代の直列エンジン
当時、木材は鋼材より安価で入手しやすかった。加工には、開発費の嵩むプレス機が不要でもあった。職人が手作業で組み上げるため、工数は必要としたが。
ウッドボディを生産したのは、戦前と同様にアメリカ・アーカンソー州のパーキンズ・ウッド・プロダクツ社。デトロイトのクライスラー本社工場へ運ばれ、ラダーシャシーの上に搭載された。
オーバーヘッドバルブを採用したV8エンジンと、オートマティックは、まだ現実的な選択肢ではなかった。1946年から1948年までのタウン&カントリーには、スピットファイアの愛称がついた、4.0L直列6気筒と5.3 L直列8気筒エンジンが載った。
基本設計は1920年代と古かったものの、高圧縮比化され、点火系や潤滑系も改良。エンジンマウントなども一新され、滑らかに回転した。
トランスミッションは、変速時にギアの回転数を調整するシンクロメッシュ付きの3速マニュアルか、初期のトルクコンバーターといえるフルードドライブを採用した、2速か3速のセミ・オートマティックが選べた。どちらもオーバードライブが備わった。
1950年代、クライスラーはトーションバー式サスペンションを広く採用し始めるが、タウン&カントリーではフロントがコイルスプリング、リアがリーフスプリングという組み合わせ。戦前モデルからの継投だった。
15秒で開閉できるパワー・ソフトトップを備えたコンバーチブルは、1948年までに8000台以上が売れた。俳優のボブ・ホープ氏やウィリアム・ボイド氏がオーナーに名を連ね、高級車としてのイメージを牽引した。
最も高価なクローズド・ボディの量産モデル
1949年から1950年のモデルでは、クライスラー創立25周年を記念し、131.5インチ(約3340mm)のホイールベースを持つロングシャシーへ変更。エンジンは5.3L直列8気筒だけになり、ボディはピラーレスの2ドア・ハードトップのみが提供されている。
ウッドボディのフレームはホワイトアッシュ材で、1948年までは、サイドパネルにもホンジュラスマホガニー材が用いられていた。だが、1949年以降はボディカラーと同じスチールパネルがはめられている。
フロントガラスは、中央で別れた分割式。曲面ガラスの成形技術が追いついていなかった。リアガラスも3分割だが、タウン&カントリーらしい見た目を生んでいた。
派手なフロントグリルは、キャデラックを意識したもの。最終年となる1950年式タウン&カントリーの北米価格は4003ドルで、キャデラック・クーペ・ドゥビルより約500ドルも高かった。当時、アメリカでは最も高価なクローズド・ボディの量産車だった。
全長は5613mm。同じく、最長の量産2ドア・モデルでもあった。また1950年式では、フロントガラスのウオッシャーと、キーを回してのエンジン始動方法、パワーウインドウが初めて設定されている。
1951年、スチールボディのステーションワゴンへモデルチェンジ。クライスラーのウッドボディは最後を迎えた。
この続きは後編にて。