日本6000台目のアルピナ、44年の歳月かけオーナーのもとへ 粋なチョイス光るB4グランクーペ世界1号車

公開 : 2023.05.19 08:15  更新 : 2023.05.19 13:16

日本で納車されたアルピナ。44年の歳月をかけ、6000台目がオーナーの元に嫁ぎました。4000/5000台目も同一オーナーです。アルピナに惚れ込む理由を聞きました。

日本の地を踏んだ6000台目のアルピナ、世界1号車のB4グランクーペ

2023年5月15日、BMWアルピナの世田谷ショールーム2階の広々としたスペースにおいて素敵な納車の式典がおこなわれていた。

アルピン・ホワイトに塗られたBMWアルピナB4グランクーペがこの日の主役だ。

納車の式典では、ニコル・グループのC.H.ニコ・ローレケ会長からオーナーの松岡氏にB4グランクーペのキーが納められた革製のボックスと記念の花束が手渡された。
納車の式典では、ニコル・グループのC.H.ニコ・ローレケ会長からオーナーの松岡氏にB4グランクーペのキーが納められた革製のボックスと記念の花束が手渡された。

車内に据えられた銀色のプラークに0001と刻まれたこの個体はB4グランクーペの世界1号車。そしてアルピナ社日本総代理店であるニコル・オートモビルズによって我が国に輸入された6000台目となる記念すべき1台でもある。

白いB4グランクーペの奥には、アルピナ・ブルーを纏ったD5ターボとB7ロング・アルラッドも同席していた。

この2台は化粧プレートに示されている数字からもわかる通り、4000台目と5000台目に輸入された記念すべきクルマ。

しかも驚くべきは、今回のB4グランクーペを含めた3台を、全て1人のオーナーが現有しているという点だろう。

式典では、アルピナ社日本総代理店であるニコル・オートモビルズ合同会社を含むニコル・グループのC.H.ニコ・ローレケ会長からオーナーの松岡氏にB4グランクーペのキーが納められた革製のボックスと記念の花束が手渡されたのである。

アルピナB7ターボの鮮烈な記憶 あの感動を伝えたい

ニコル・オートモビルズがアルピナ社の製品を日本に初めて紹介したのは1979年のこと。

ブラックのボディにシルバーのアルピナ・ストライプが入れられたBMWアルピナB7ターボが日本における起源なのである。

アルピナ社の製品を日本に初めて紹介したのは1979年。BMWアルピナB7ターボが日本における起源なのである。
アルピナ社の製品を日本に初めて紹介したのは1979年。BMWアルピナB7ターボが日本における起源なのである。

当時レーシングドライバーからビジネスマンに転身したばかりのニコ・ローレケ会長自身が上陸したばかりのB7ターボのステアリングを握っている。その際、4ドアリムジンの驚異的ともいえる加速に心を打たれ、その感動をより多くの人に伝えたいという思いが、今日の日本市場におけるアルピナの着実な成長へと繋がっているのである。

近年のアルピナ社の年間の生産台数は1700台ほど。日本市場には最大でその25%ほどがもたらされているという。

年を追うごとに高い評価を獲得し、より多くの個体が生産されるようになっているアルピナ。それでも他のプレミアムカー・メーカーと比べれば非常に限られた数といえる。

他メーカーと一線を画すジェントルで圧倒的なパフォーマンスと希少性が、ドイツの小さな自動車メーカーが生み出す作品の価値にもつながっているのである。

記事に関わった人々

  • 執筆

    吉田拓生

    Takuo Yoshida

    1972年生まれ。編集部員を経てモータリングライターとして独立。新旧あらゆるクルマの評価が得意。MGBとMGミジェット(レーシング)が趣味車。フィアット・パンダ4x4/メルセデスBクラスがアシグルマ。森に棲み、畑を耕し蜜蜂の世話をし、薪を割るカントリーライフの実践者でもあるため、農道のポルシェ(スバル・サンバー・トラック)を溺愛。
  • 撮影

    神村聖

    Satoshi Kamimura

    1967年生まれ。大阪写真専門学校卒業後、都内のスタジオや個人写真事務所のアシスタントを経て、1994年に独立してフリーランスに。以後、自動車専門誌を中心に活躍中。走るのが大好きで、愛車はトヨタMR2(SW20)/スバル・レヴォーグ2.0GT。趣味はスノーボードと全国のお城を巡る旅をしている。

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