4949ccか5752ccか フォード・マスタング ボス302とマッハ1 規制前夜のポニーカー 前編

公開 : 2023.06.04 07:05

ナンバー付きのレーシングカーといえた

1969年、ニュージャージー州の工場で仕上げられたボス302は、ナンバー付きレーシングカーといってよかった。特にV8エンジンは専用開発で、同時期のマスタングでは排気量が小さめながら、性能は大幅に引き上げられていた。

5800rpmで達した最高出力は294ps。最大トルクは4300rpmで40.0kg-mに届いた。

フォード・マスタング・ボス302(T5/1969〜1970年/北米仕様)
フォード・マスタング・ボス302(T5/1969〜1970年/北米仕様)

エンジンブロックは軽量化のために肉薄で、フロントノーズへ掛かる負荷を減らした。シリンダーヘッドは、後のマッハ1にも搭載される、クリーブランド351ユニット用。バルブが排気量としては大径で、ハイパワー化へ一役買った。

トランスミッションは、フォードの通称トップローダーという4速マニュアルが、今回の例には組まれている。オプションのリミテッドスリップ・デフも備わる。

操縦性も磨かれていた。同社の主任シャシー技術者だったマット・ドナー氏は車高を落とし、専用のフロント・ブレーキディスクを与えた。アンチロールバーは通常より太く、ダンパーの取り付け剛性も高められた。

ボス302では、スタイリングの差別化も重要だった。それを任されたのは、GMから移籍したデザイナーのラリー・シノダ氏だ。

クロームメッキのボディトリムを変更し、ランボルギーニ・ミウラにも似た、大きなフロントスポイラーとリアウイングで引き締めた。リアウインドウには、スポーツスラッツと呼ばれるブラインドもオプションで装備できた。

アルミホイールは、専用のマグナム500。15インチで幅が7Jと当時としてはワイドで、存在感のある容姿を完成させた。

1970年のトランザム・シリーズで総合優勝

シノダは、この特別なマスタングへ名前を与えた人物だといわれている。彼をフォードへヘッドハンティングした、社長のシーモン・バンキー・クヌッセン氏へ敬意を表し、「ボス」と名付けられたようだ。

かくして、ホモロゲーション・マスタングのボス302は、発表当初から印象的な評価を残した。自動車雑誌のカー・アンド・ドライバーは、次のように紹介している。

フォード・マスタング・ボス302(T5/1969〜1970年/北米仕様)
フォード・マスタング・ボス302(T5/1969〜1970年/北米仕様)

「ボス302は、ディアボーンで生産されるフォード車で、間違いなく最も操縦性が素晴らしい。デトロイトで作られるクルマの、新基準を作ったといえるかもしれません」

数字上の性能も誇らしいものだった。0-97km/h加速を6.9秒でこなし、0-400mダッシュは14.6秒。0-160km/hも、約15秒で処理した。

ところが、当初はトランザム・シリーズでの活躍が振るわなかった。クルマの仕上がりは悪くなかったものの、ピットクルーの仕事が足を引っ張った。期待の掛かった1969年シリーズは、GMが優勝をさらっている。

これを受けフォードはチーム体制を見直し、ボス302は本領を発揮。1970年シーズンは、総合優勝を掴み取っている。

他方で、販売は当初から好調。1970年にマスタングは19万1522台も売れているが、そのうちの7013台はボス302が占めた。価格は3720ドルで、訴求力は高かった。

オプションは多彩で、リアスポイラーは20ドル、タコメーターは65ドル、ハイバック・バケットシートは84.25ドル、リミテッドスリップ・デフは13ドルで指定できた。最も高価だったオプションは、AM/FMラジオ。214ドルしたという。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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