クルマらしい形のクルマ フィアット1500L プジョー404  1960年代の凸型ボディ 前編

公開 : 2023.06.11 07:05

フィアット・デザインのありふれたサルーン

シートの表皮はクロスからレザーまで幅広く用意され、すべての404で前席はリクライニング可能だった。背もたれを完全に倒せば、ベッドのようにフラットな空間を作ることもできた。

細かなアップデートを受けつつ、1968年に登場した504へ主力サルーンの立場を交代。404は安価なベーシック・モデルとして装備が簡素化されつつ、欧州では1975年まで提供が続いた。

フィアット1500L ベルリーナ(1963〜1968年/欧州仕様)
フィアット1500L ベルリーナ(1963〜1968年/欧州仕様)

シャシーは、従来的なフロントエンジン・リアドライブだが、中身にはプジョーらしさが溢れていた。サスペンションは滑らかなコイルスプリング。リアアクスルへは、ウォームギアが駆動力を伝えた。

クラッチ交換は手間だったが、リアアクスルを安定させるトルクチューブも備わっていた。ステアリングラックは、正確性に優れるラックアンドピニオン式が選ばれた。

4気筒1618ccエンジンは45度傾けて搭載され、大きなエアクリーナーボックスの下に隠れた。このユニットは発売後に改良を受け、メインベアリングが5枚へ増え、高圧縮比化。ソレックスのシングルキャブレターでも、最高速度150km/h以上を実現した。

1960年の404登場当初、0-100km/h加速には約22秒を要した。しかし、8秒も縮めている。

他方、フィアット1500Lも、404と同様に欧州ではありふれたサルーンだった。ピニンファリーナが描いた404と似ていたが、前後のライトを結ぶシャープなボディラインはフィアット独自のデザインだった。

スペインでは1980年代までタクシーで現役

1500Lのオリジナルは、1959年に登場した6気筒エンジンのフィアット1800と2100。1961年にフェイスリフトを受け、1800Bと4灯ヘッドライトの2300へ進化し、1963年に1481ccの4気筒エンジンを搭載した1500L(ロング)が追加されている。

この4気筒エンジンは、腕利きのウレリオ・ランプレディ氏が設計した、6気筒ユニットから2気筒を削ったもの。最高出力は当初72psで、シリーズ2では75ps。トランスミッションは4速マニュアルのみで、404のようにオートマティックは選べなかった。

フィアット1500L ベルリーナ(1963〜1968年/欧州仕様)
フィアット1500L ベルリーナ(1963〜1968年/欧州仕様)

イタリアでは、英国のルーツ・グループが展開していたシムカ1501などが主なライバルになった。同時期のアルファ・ロメオや、ランチアのファミリーサルーンより安価で、タクシー用にパワーが絞られた仕様も存在した。

1500Lのイタリアでの生産は1968年に終了されるが、4灯ヘッドライトのデザインで、スペインのセアトは1972年まで継続。合計で約20万台が作られた後、フィアット125へバトンタッチしている。スペインでは、1980年代までタクシーとして現役だった。

全長は4489mmで、404より約70mmも大きく、ホイールベースも2661mmと僅かに長い。リアシート側の空間はそのぶん広く、荷室容量も大きい。開口部の位置が少々高めだが。

今回ご登場頂いたバーガンディの404とネイビーブルーの1500Lは、同じ人物が所有している。現代的なスーパーカーを複数コレクションするマニアだが、名前は伏せて欲しいとのこと。

1980年代に住んでいたカナダで、普段の足にしていたのが404だったとか。それ以来、特別な気持ちを抱くようになったという。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    トニー・ベイカー

    Tony Baker

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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