1970年代の当たり前 モーリス・マリーナ ヒルマン・ハンター ヴォグゾール・キャバリエ 前編

公開 : 2023.06.25 07:05

1970年代の英国で、会社員の足になった1.8Lクラスのサルーン。モーリス、ヒルマン、ヴォグゾールの3台を英編集部がご紹介します。

英国では一般的だった3台が並ぶ光景

出張帰りのサラリーマンが、道筋の売店でフレンチフライをオーダーする姿は、1975年の英国でも珍しい光景ではなかった。彼らが運転するクルマは、フォード・コルチナ Mk3辺りが相場だった。

しかし、周囲とは違うモデルを望む係長も珍しくなかった。色鮮やかなモーリス・マリーナ 1.8スーパーやヒルマン・ハンター GLSヴォグゾール・キャバリエ 1900 GLが駐車場に並ぶ光景も、当たり前のものといえた。

ライムグリーンのヒルマン・ハンター GLSと、イエローのヴォグゾール・キャバリエ 1900GL、ライムフラワー・グリーンのモーリス・マリーナ 1.8スーパー
ライムグリーンのヒルマン・ハンター GLSと、イエローのヴォグゾール・キャバリエ 1900GL、ライムフラワー・グリーンのモーリス・マリーナ 1.8スーパー

今回ご登場願ったサルーンを目にすると、高速道路を軽快に行き交っていた、実務時代を思い出すという英国人もいらっしゃると思う。ロスマンズのタバコと小腹を満たすお菓子もカバンに入れて、モーテルを拠点に渡り歩いていた日々を。

ベッドから起きて小さな部屋のドアを開けば、クルマ数の少ない道路が待っていた。新しいビジネスチャンスを求めて、ステアリングホイールが握られていた。

この3台で最も基本設計が古いのは、ヒルマン・ハンター GLS。1966年のロンドン・モーターショーでルーツ・グループが発表した、アロー・シリーズと呼ばれたモデルだ。ヒルマン・ミンクスの後継モデルに相当した。

ハンター GLSが登場したのは1972年。その過程でルーツ・グループはアメリカのクライスラーに買収され、クライスラーUKへリブランドされており、フォード以外を求めたドライバーから支持を集めた。

ツアー・オブ・ブリテンでクラス優勝

当時の広告では、ロンドンの北東、ストラットフォードからグレートブリテン島の南岸、サウサンプトンまで短時間に走れるとPRされていた。ツイン・キャブレターが載った1725cc 4気筒エンジンと、サンビーム譲りのサスペンションが走りを支えた。

このハンター GLSでは、クロスレシオの4速マニュアルが搭載されていた点も魅力になった。ダッシュボードにはメーターがフル装備で、本物のウッドトリムがインテリアを飾っていた。

ヒルマン・ハンター GLS(1966〜1977年/英国仕様)
ヒルマン・ハンター GLS(1966〜1977年/英国仕様)

フロントマスクを引き締めたのは、ハンバー・セプターからイメージを引き継ぐ丸目4灯のヘッドライト。スポーツ・ホイールが足元を引き締め、通行人の注目を集めるほどではなかったものの、活発な走りを想起させた。

むしろ控えめな容姿は、営業で駆け回るサラリーマンに適していた。エリア・マネージャーに、スポーツ・ストライプは必要なかった。

最高速度は167km/hに達し、0-97km/h加速を10.9秒でこなし、当時の同クラスとしては驚くほどの速さを披露。1973年に開かれたツーリングカーレース、ツアー・オブ・ブリテンではクラス優勝を果たしている。

またカストロール・グループ1 プロダクションカー・チャンピオンシップでも、グループBカテゴリーでハンターは勝利。ステアリングホイールを握ったバーナード・ウネット氏を、表彰台へ立たせている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アンドリュー・ロバーツ

    Andrew Roberts

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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