1970年代の当たり前 モーリス・マリーナ ヒルマン・ハンター ヴォグゾール・キャバリエ 前編

公開 : 2023.06.25 07:05

純正色だったライムグリーンの塗装

ところが、ヒルマン・ブランドは1976年に終了。アロー・シリーズも最後を迎えた。アイルランドではクライスラー・ハンターとして1979年まで生産が継続され、イランではペイカンという名前で2005年まで作られたが。

日常的なサルーンだったこともあり、ハンター GLSの残存数は非常に少なく、英国でナンバー登録されているのは12台だという。今回は、ピーター・オコンスキー氏の愛車を持ち込んでいただいた。

ヒルマン・ハンター GLSと、オーナーのピーター・オコンスキー氏
ヒルマン・ハンター GLSと、オーナーのピーター・オコンスキー氏

彼の父がヒルマン・ファンだった影響から、オコンスキーは2013年にハンター GLSを購入。2019年12月にレストアへ着手し、2021年に仕上がった。それ以前、2018年11月まではガレージに眠らせていたという。

再塗装されたライムグリーンのボディが、現代の交通に紛れても存在感を放つ。「純正色なんです。信じられない人もいるでしょうね」。とオコンスキーが笑う。当時のパンフレットには、レースで勝利しタイムラップを更新するクルマの色だとうたわれていた。

1970年代のヒルマンは、フォードと異なりイメージが低かったと彼は考えている。「1960年代のクルマですから、21世紀に運転するには自分が合わせる必要があります。でも、ハンターはとても楽しいですよ」

「加速は鋭いですし、変速も滑らか。ファミリーカーとしても問題なく乗れます。多くのGLSが、オプションでオーバードライブを装備していますが、自分のハンターは珍しく装備されていません」

「スーパーやガソリンスタンドでは、毎回かなり時間が取られます。父や母が乗っていた、という人が懐かしんで声をかけてくるので」

オペル・アスコナBがベースのキャバリエ

他方、鮮やかなイエローのサルーンは、ヴォグゾール・キャバリエ 1900GL。リチャード・ワッツ氏がオーナーで、現存する個体としては最も古いという。1975年のモーターショーで展示された車両そのものという点も、特別さを強めている。

1976年のモーター誌を読み返すと、キャバリエはクラスの勝者へ近い、と評価している。CAR誌も、正しく見えるモデルだと紹介している。

ヴォグゾール・キャバリエ 1900GLと、オーナーのリチャード・ワッツ氏
ヴォグゾール・キャバリエ 1900GLと、オーナーのリチャード・ワッツ氏

その頃、ヴォグゾールは変革時期にあった。既存の4ドアサルーン、ビバHCをHDへモデルチェンジする計画を立てていたが、英国を中心に欧州で販売不振に陥り、1972年にはカナダへの輸出も叶わなくなり中止。

親会社のゼネラル・モーターズは、ドイツのオペル・アスコナBへ手を加えて提供する方が適切だと判断した。そこでヴォグゾールのチーフ・デザイナー、ウェイン・チェリー氏が新しいフロントマスクをデザイン。キャバリエが誕生した。

当初の発売は1977年に設定されていたが、経営悪化への打開策として1975年9月29日に計画は繰り上げられた。同社の経営責任者だったボブ・プライス氏は、開発費用の5000万ポンドと、3年間を節減できたと後に述べている。

LOU 848Pのナンバーが維持されたワッツのキャバリエ 1900GLは、まるで新車のように美しい。当時の英国人へ及ぼした影響も想像できる。垢抜けたスタイリングで、ブランドへ新しい希望も抱かせたサルーンだった。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アンドリュー・ロバーツ

    Andrew Roberts

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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