売れた4気筒 売れなかった6気筒 アルファ・ロメオ1900 スーパー 2600 ベルリーナ 前編
公開 : 2023.07.01 07:05
1950年代と1960年代にアルファ・ロメオが提供したサルーン。生産数が大きく異なる2台を、英国編集部が振り返ります。
大量生産を模索した結果が4気筒の1900
ふっくらとしたスタイリングの4ドアサルーンは、1950年代のアルファ・ロメオで重要な役割を果たした。もしこれを生み出さなければ、歴史に刻まれた多くのブランドと同様に、21世紀まで生き残ることは難しかった可能性がある。
第二次大戦前のアルファ・ロメオは、6気筒や8気筒のエンジンを搭載した、エキゾチックなモデルを限定的に提供していた。しかし戦後の厳しい経済へ直面し、生き残りをかけた大量生産を模索した結果が、1950年11月に発表された4気筒の1900だった。
欧州諸国に適用された復興救済措置、マーシャルプランにより、当時で210万ドルの資金支援を受けた同社は、新しい工場や設備への投資が叶った。一般的な市民にも手が届く、ファミリー・サルーンの開発を進めることができた。
1900の月間生産数は、当初500台が計画された。サスペンションには前後ともコイルスプリングが選ばれ、リアはリジッドアクスル。同社の量産車として初となる4気筒エンジンは、最高出力81psで、最高速度144km/hを実現していた。
加えて、左ハンドル・レイアウトも同社としては初めて。戦前は右ハンドルのみを提供していたのだ。
またシャシー単体での販売もされ、特別なボディを手掛けるカロッツエリアから大いに喜ばれた。実際、トゥーリング社やピニンファリーナ社などから、独自の「1900」が提供されている。
述べ1万7390台のサルーンがラインオフ
容姿ではさほど鮮明な印象を残さなかったとしても、1900のサルーンは確かな支持を集めた。最初の3年間で生産されたのは約7600台。1930年代から1940年代にかけて、アルファ・ロメオが提供したすべてのモデルを合計した数より、遥かに多かった。
1900は1959年に生産終了を迎えるが、サルーンだけで述べ1万7390台がラインオフ。同社が描いた目的は、不足なく達成されたのだった。
1884ccの通常の1900に続いて、1951年に追加されたのが1975ccの1900 Ti。ツーリズモ・インテルナツィオナーレの頭文字だけでなく、ツインチョークのウェーバー・キャブレターが与えられ、最高出力は94psへ上昇。最高速度は160km/h以上に届いた。
1954年には、ツイン・ソレックス・キャブレターが載り、高圧縮比化されたTiスーパーも登場。バルブが大径化され、最高出力は101psに達している。この年式から、すべての1900でリアアクスルの位置へ改良も施されている。
他方、アルファ・ロメオには6気筒エンジンを期待する声も増えていった。市場は、より小さく軽量なモデルを求めていたが、高級なモデルにも一定の需要が存在していた。
終戦から約10年が経過すると、イタリアは徐々に好景気へシフト。いわゆる中流階級は、自由に使えるお金を手にし始めていた。
1955年、アルファ・ロメオは1.3Lエンジンのジュリエッタを投入。さらに大衆側へ振ったモデルで堅調に利益を得ていた。大きなアルファ・ロメオを作りたいという機運が、社内でも高まっていたに違いない。