FRの通称デイトナ フェラーリ365 GTB/4 ベルリネッタ/スパイダー/コンペティツィオーネ 後編

公開 : 2023.07.02 07:07

高性能モデルの新水準に達していた、365 GTB/4「デイトナ」。公道の王者といえたフェラーリを、英国編集部がご紹介します。

大きく耳へ届くV12エンジンのシンフォニー

アメリカの規制へ合わせるため、フェラーリ・デイトナ・スパイダーのヘッドライトはリトラクタブル式。ただし、モーターショーに展示された車両には、プレキシガラス・ノーズが与えられていた。1971年以降は、デイトナ・ベルリネッタも変更されている。

ロッソ・キアーロの塗装が美しいスパイダーは、ここ12年間に1600kmほどしか走っていない。ギルバート・スミス家が乗って楽しんでいるベルリネッタとは対照的に、主要な操作系にはまだ新鮮味が残っている。

パープルのフェラーリ365 GTB/4 ベルリネッタと、レッドの365 GTS/4 スパイダー、レッド/ブルー・ストライプの365 GTB/4 コンペティツィオーネ
パープルのフェラーリ365 GTB/4 ベルリネッタと、レッドの365 GTS/4 スパイダー、レッド/ブルー・ストライプの365 GTB/4 コンペティツィオーネ

後期モデルとなり、メーターまわりなどに小さな変更を受けている。ステアリングホイールはレザー巻きで、直径も小さい。インテリアの雰囲気は、1970年代に合致している。

ソフトトップを開いて、テストコースのアルペンルートを駆ける。速度を上げると風切り音が増すが、聴き応えのあるV型12気筒エンジンのシンフォニーも、明らかに大きく耳へ届く。

ベルリネッタと比較すると、高速コーナーの入り口で反応が若干遅れることへ気付く。補強に伴う、車重増が原因といえる。それでも、シャシーはしなやかに路面を掴み続け、ボディが不自然に震える様子もない。

合計15台が製造されたコンペティツィオーネ

オープンエアが爽快なスパイダーから、シリアスな容姿の365GTB/4 コンペティツィオーネへ乗り換える。だが、耐えるような体験へ身構える必要はない。

フェラーリは1971年から1973年までの3年間に、5台ずつ3種類のレース用デイトナを製造している。これには2台のプロトタイプと、マラネロでコンバージョンを受けた8台を含む。

フェラーリ365 GTB/4 コンペティツィオーネ(C S3コンバージョン)
フェラーリ365 GTB/4 コンペティツィオーネ(C S3コンバージョン)

手始めとして、グループ4カテゴリー向けに開発されたデイトナが、コンペティツィオーネ・シリーズ1(C S1)。参戦規定に沿った500台の量産車の生産が間に合わず、当初はグループ5で戦ったものの劣勢を強いられた。

メカニズム的には量産車とほぼ変わらず、アルミ製ボディはグラスファイバー製へ置き換え軽量化。更なるダイエット目的で、樹脂製のウインドウを備えた例もあった。

1972年に、コンペティツィオーネ・シリーズ2(C S2)へ進化。エンジンには専用カムとヘッドが与えられ、圧縮比は9.3:1から10.1:1へ上昇し、最高出力は407ps/8300rpmへ強化されている。

ホイールの幅は、フロントが9J、リアが11Jへワイド化。高速安定性と冷却性能を高めるべく、ボディにも大幅に手が加えられていた。

1973年に投入されたのが、最終のシリーズ3(C S3)。サスペンションへ更なる改良が施され、V型12気筒エンジンは4390ccのままながら、最高出力は456psに達している。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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