マニア心を刺激する魅力 アルファ・ロメオ2000 スプリント ブリストル406 不遇のクーペ 後編

公開 : 2023.07.16 07:06

車齢やサイズから想像する以上に機敏で安定

シフトゲートはタイトで、ブリッピングしながらのシフトダウンがしやすい。右手の指を動かし、小さなクロームメッキのレバーをよければ、オーバードライブへ入る。フロアヒンジ式のブレーキペダルは、力を込めただけしっかり効く。

2000 スプリントと同じく、車齢やボディサイズから想像する以上に、406は機敏で安定している。乗り心地と操縦性との、絶妙な妥協点にあることも共通している。1960年代初頭では、理想的なバランスを得た数少ないモデルの1つだったはず。

ブリストル406(1958〜1961年/英国仕様)
ブリストル406(1958〜1961年/英国仕様)

乗り心地にはハリがあり、落ち着いている。舗装の剥がれた深い穴を通過しない限り、リアアクスルを乱すことはない。

コーナリングはニュートラルな特性で、ステアリングホイールには路面からの入力が伝わるが、グリップ状態は感じ取りにくい。それでも、細いタイヤはしっかり路面を掴む。2000 スプリントより、ボディロールは小さいようだ。

安定性の高い406には、アルファ・ロメオにはない重厚さが滲んでいる。他方、2000 スプリントは、105シリーズのジュリア・クーペには届かないとしても、ドライバーを惹き込むような魅力を醸し出す。

ブリストル・カーズは、1960年に親会社から独立。大株主のトニー・クルック氏がロンドン西部のケンジントンへ構えたディーラーが唯一の販売店となり、1961年にV8エンジンの407が後を継いだ。

周囲と異なる事実がマニア心を刺激する

アルファ・ロメオは、高額な輸入関税に阻まれ、グレートブリテン島での販売を伸ばすことに苦労した。1960年には、正規の輸入ディーラーすら英国には存在していなかった。

2000 ベルリーナとスパイダーの販売は、個人の代理店、トムソン&テイラー社が担っていた。1962年に6気筒版の2600が登場するまで、ベルトーネ・ボディのスプリントには右ハンドル仕様も設定されていなかった。

ブルー・シルバーのブリストル406と、シルバーのアルファ・ロメオ2000 スプリント
ブルー・シルバーのブリストル406と、シルバーのアルファ・ロメオ2000 スプリント

今回ご紹介した2台のクーペは、自動車技術の成長期にあった1950年代から、さらなる高級感や高性能化を求めた1960年代への過渡期に生まれた。成熟度を増す市場にあって、販売台数を伸ばせなかった。

2000 スプリントは、アルファ・ロメオの戦前モデルと、その後のブランドを担った101シリーズや105シリーズとの間に生まれた、妥協作ともいえる。406も、親会社が自動車製造から距離を置き始めて時期に生み出されたクーペだった。

ザガート・ボディをまとうブリストルは、高い注目度を保っている。だがオリジナルの406にも、もっと光が当たっていいだろう。同時期のベントレーより乗りやすく、ジャガーより珍しく、アルヴィスより親しみやすい。実用的で気品があり、派手過ぎない。

アルファ・ロメオも、2000 スプリントより望ましいクラシックは少なくない。それでも、ジュリエッタやジュリアとは別の魅力を秘めている。周囲と異なるという事実が、マニア心を刺激する。

ジョルジェット・ジウジアーロ氏のスタイリングは、美しく魅力的でもある。筆者の場合、ブリストルへの思い入れが勝るとはいえ。

協力:リチャード・ハケット氏、リチャード・カープ氏

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェイソン・フォン

    Jayson Fong

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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