誰も知らないマイナー車 40選 後編 名車の影に隠れた不運でマニアックなクルマたち

公開 : 2023.07.16 18:25

MG SA

近年は状況が変わったが、MGはかつてMGBやミジェットといったスポーツカーで知られていた。1936年のSAは、期待されていたよりも大きく、重く、オーソドックスなもので、そのパワーウェイトレシオから爽快な加速は不可能であり、愛好家からは懸念の声が上がった。

このことと、生産開始から4年も経たずに生産が終了したことが、今日、MGファン以外でこのクルマを知る人がほとんどいないことの理由かもしれない。見た目はすばらしく、価格も競争力があり、高速クルーザーとしても優秀で、ハンドリングも素晴らしかった。さらに、第二次世界大戦前に販売された数多くのMGモデルの中で、3番目に売れたのである。

MG SA
MG SA

日産Be-1

1980年代後半から1990年代前半にかけて、日産はパイクカーと総称される個性的ななスタイルのモデルをいくつかは発売した。デザインライターのフィル・パットン氏(1952-2015)はかつて、パイクカーを「ポストモダニズムの極致」と評した。日本国外では、レトロモダンなフィガロと奇抜なエスカルゴ(カタツムリのような小型バン)がよく知られているが、この2台に先駆けて1987年初頭にデビューしたBe-1のことはあまり知られていない。

Be-1は初代マーチをベースとするキュートで小さな2ドア・セダンで、人々の想像力を大いに刺激した。日産は生産台数を1万台までとしていたが、それ以上の注文を受けた。日産は、Be-1を特別な存在にしておきたいと考え、当初の計画を守り、抽選で購入者を決定した。

日産Be-1
日産Be-1

NSU Ro80

Ro80は、シトロエンGSに匹敵する、いや、それを凌駕する革新性を備えた、当時の数少ない大衆車の1つである。完全独立サスペンション、全輪ディスクブレーキ、非常に空力的なボディ、ツインローターエンジン、シフトレバーに触れるだけで操作できるクラッチなど、あらゆる要素が傑出しており、1968年の欧州カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

傑作と賞賛されるには十分な理由があったが、そのロータリーエンジンは初期には絶望的なほど信頼性が低かった。やがて問題は解決されたものの、Ro80の評判はすでに修復不可能なほど傷ついており、販売不振を招いた。1970年代後半にはNSUブランドは廃止された。

NSU Ro80
NSU Ro80

オペル24/110

今日に至るまで、オペルは1928年の24/110より長いクルマを製造したことはない。一般にリージェントと呼ばれるが、やや遅れて登場した同名の小型車と混同することのないように。全長5400mm(212.6インチ)のロングボディを誇り、クーペとリムジンが用意され、いずれも6.0L直8エンジンを搭載している。

リージェントは、オペルが作りうる限りのラグジュアリーなモデルであり、今日ではロールス・ロイスキャデラックと同じように見られるかもしれない。しかし、1929年に生産が突然中止されるまで、わずか25台ほどしか作られなかった。このクルマがあまり知られていない理由として、その希少性と、同年にオペルがゼネラルモーターズに買収されたこととの関連性を指摘する声もある。

オペル24/110
オペル24/110

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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