伯爵が愛したトポリーノ フィアット500 ブルー/ブラックのレーシングカラー 前編

公開 : 2023.07.22 07:05

ミニチュアサイズの大きなクルマ

ロンドン中心部、カーゾン・ストリートに住んでいたハウ伯爵は、短距離の移動には小さなクルマを好んだ。オースチン・セブンやMGなどが普段の足になっていた。渋滞でも大きなスポーツカーより速く移動できると、主張したという。

彼がフィアット500 トポリーノへ乗り始めた時期はわかっていない。だが、第二次大戦が始まる前には、最高水準の小型乗用車だと認識していたようだ。オースチン・セブンに並ぶ、普通車の設計のマイルストーンだと考えていただろう。

フィアット500 C トポリーノ(1955年式/英国仕様)
フィアット500 C トポリーノ(1955年式/英国仕様)

1940年にイタリアが大戦へ加わるまでに、フィアットの工場から8万3000台のトポリーノがラインオフしていた。フランスのシムカと、ドイツのNSUがライセンス生産した車両を除いて。

英国では、毎週60台というペースでトポリーノが売れた。走りの良さから、レーシングドライバーのチャールズ・ブラッケンベリー氏やロブ・ウォーカー氏もステアリングホイールを握った。1938年には、ブルックランズでワンメイクレースも開かれたとか。

設計を手掛けたのは、フィアットに在籍していたアントニオ・フェシア氏。先進的な油圧ブレーキと、電圧12Vの電気系統、3速と4速に変速時のギアの回転数を調整するシンクロを備えた4速MT、独立懸架式のフロント・サスペンションなどを採用していた。

優れた技術から、ミニチュアサイズの大きなクルマとして、国内外から多くの称賛を集めた。実際、その頃は格上のモデルでも、これらの装備をすべて搭載する例は限られた。しかも、現地ではお手頃でもあった。

ブルーとブラックのツートーンがお決まり

車内空間を確保するべく、低いボンネットの前方へ搭載されたエンジンは、水冷サイドバルブの569cc直列4気筒。ラジエーターの位置が工夫され、巧みなパッケージングが実現されていた。

全長は3181mmで、全幅は1276mmしかない。それでも、身長180cmの大人が2人乗れる車内空間が存在した。トランクリッドはないが、シートの後方には充分な荷室も設けられていた。

フィアット500 C トポリーノ(1955年式/英国仕様)
フィアット500 C トポリーノ(1955年式/英国仕様)

当初の最高出力は13psで、最高速度は80km/h。燃費は17.7km/Lと優秀で、車重を減らすため、シャシーには軽量化のための穴が開けられていた。

ハウ伯爵が所有した3台のトポリーノはすべて、ソフトトップを後方に折りたためるロールバック式のコンバーチブル。そのうちの1台は、英国仕様に限定された4シーターだったようだ。

ボディーカラーは、落ち着いたブルーとブラックのツートーン。彼のお決まりのレーシングカラーになっていた。

2台はロンドンでの足として、国会へ出席するための移動手段になった。もう1台はロンドンの北、バッキンガムシャー州に構えた別荘付近で乗られていた。1964年に80歳でこの世を去るまで、いずれも大切に維持されたという。

ハウ伯爵の死後、3台はロンドンで暮らすダグラス・リデル氏へ売却。1969年にはジョン・ヘンリー・クラーク氏が購入し、その後はジョン・ローン氏がオーナーになった。1977年までは、走れる状態にあったようだ。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

伯爵が愛したトポリーノ フィアット500 ブルー/ブラックのレーシングカラーの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事