六本木に伝説的マクラーレン集結 「FOREVER FORWARD」マクラーレン60周年記念イベント なぜ日本で開催? 聞いてみた

公開 : 2023.07.07 19:00  更新 : 2023.07.07 19:05

マクラーレン・オートモーティブは2023年7月6日に六本木でマクラーレン・レーシングチームの創設から60周年を記念して特別展示会「FOREVER FORWARD」を開催した。

マクラーレンが歩んだ60年をプレイバック

ニュージーランド出身のレーシングドライバーであったブルース・マクラーレンが自らのチームであるブルース・マクラーレン・モーターレーシングを1963年に設立してから今年でちょうど60年という節目の年となる。

ブルース・マクラーレンは1937年にニュージーランドで生まれた。幼いころから父のガレージで自動車と触れ合って育ち、13歳のブルースは父が買ってきたボロボロの1929年型オースチン・アルスターから初のレースカーを制作し、15歳にして初レースに出場。見事優勝した。それからイギリスへ留学し1959年からF1に出場、そして1963年に現在のマクラーレンの基となるブルース・マクラーレン・モーターレーシングを設立した。

マクラーレン・オートモーティブは2023年7月6日に六本木でマクラーレン・レーシングチームの創設から60周年を記念して特別展示会「FOREVER FORWARD」を開催した。
マクラーレン・オートモーティブは2023年7月6日に六本木でマクラーレン・レーシングチームの創設から60周年を記念して特別展示会「FOREVER FORWARD」を開催した。

1970年6月2日、英グッドウッドサーキットにおいてCan-Amレース用マシン、マクラーレンM8Dのテスト中に事故に遭い、ブルースは32歳という若さでこの世を去ってしまう。ブルースの亡きあともマクラーレンの従業員、エンジニアたちは一丸となってブルースのスピリットを60年たった今でも継承し、モーターレーシングの最先端を走り続けている。

ブルースの夢、幻のマクラーレンM6GT

今回のイベントではマクラーレンの歴史を彩るロードカーとしてF1やMP4/12C、最新鋭のモデルとしてアルトゥーラやGT、レーシングカーではアイルトン・セナが搭乗したMP4/4、MP4/5Bなどが展示されていた。そのなかでもひときわ目を引いたのはブルース・マクラーレンの夢を乗せた幻のコンセプトカーM6GTであった。

このM6GTは1969年にブルース・マクラーレンが自身のドライバー、メカニックとしてのノウハウをふんだんに用いて設計した究極のロードカーである。シボレー製のレーシングユニットを搭載し0-160km/hまでわずか8秒で到達するというレーシングカーに引けを取らない性能を有しつつも安全性までもが考慮されておりブルースはこれを日常の足として愛用していたというから驚きだ。

ブルース・マクラーレンの夢を乗せた幻のコンセプトカー「M6GT」。マクラーレンのロードカーにおける象徴として、脈々と受け継がれている。
ブルース・マクラーレンの夢を乗せた幻のコンセプトカー「M6GT」。マクラーレンのロードカーにおける象徴として、脈々と受け継がれている。

マクラーレンはこのM6GTを年間250台生産するプロジェクトを想定していたが1970年6月、ブルース・マクラーレンの死とともに計画は立ち消えてしまった。しかし、このロードカーにおける設計思想はマクラーレンの中で脈々と生き続け、23年後の1993年にマクラーレン・F1として究極のロードカーは実を結んだ。

マクラーレンのロードカー象徴である軽量なボディとハイパワーなエンジンによる優れた動力性能、卓越したハンドリング、安全性、シンプルで上品なデザインなどの全てはブルースのM6GTの頃と何一つ変わることなく現在へ脈々と受け継がれているということを実感した。

記事に関わった人々

  • 執筆

    小河昭太

    Shota Ogo

    2002年横浜生まれ。都内の文系大学に通う現役大学生。幼いころから筋金入りのクルマ好きで、初の愛車は自らレストアしたアウトビアンキA112アバルトとアルファロメオ2000GTV。廃部になった自動車部を復活させようと絶賛奮闘中。自動車ライターを志していたところAUTOCAR編集部との出会いがあり、現在に至る。instagram:@h_r_boy_
  • 撮影

    小川和美

    Kazuyoshi Ogawa

    クルマ好きの父親のDNAをしっかり受け継ぎ、トミカ/ミニ四駆/プラモデルと男の子の好きなモノにどっぷり浸かった幼少期を過ごす。成人後、往年の自動車写真家の作品に感銘を受け、フォトグラファーのキャリアをスタート。個人のSNSで発信していたアートワークがAUTOCAR編集部との出会いとなり、その2日後には自動車メディア初仕事となった。

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