テスラ越え実現する? 東大卒の集団 国産初の完全自動運転EVもくろむ 「チューリング」社とは

公開 : 2023.07.07 11:55

完全自動運転のEVの製造販売を目指す日本のスタートアップ企業「チューリング(Turing)」を取材しました。

将棋の世界でプロを破り自動車の世界へ

チューリング(Turing)という名前をご存じだろうか?

完全自動運転のEVの製造販売を目指す日本のスタートアップ企業である。

チューリング(Turing)山本一成CEO。AIのスペシャリストだという。開発した将棋AIでプロ棋士を破ったことで有名になった。
チューリング(Turing)山本一成CEO。AIのスペシャリストだという。開発した将棋AIでプロ棋士を破ったことで有名になった。

同社は6月13日、千葉県柏市にある自社工場を報道陣に公開した。

集まったマスコミはIT系と自動車系が半々といったところ。「We Overtake Tesla」を掲げるこのスタートアップ企業はIT系のメディアではすでにおなじみのようだ。

2021年8月に創業したチューリング。同社を率いる山本一成CEOはAIのスペシャリストであり、自ら開発した将棋AI「Ponanza(ポナンザ)」でプロ棋士を破ったことで有名になった人物だ。

将棋プログラムの開発を引退した山本氏が、自動運転の研究者である青木俊介氏(同社CTO、最高技術責任者)と出会ったことで、自動車の世界へと進むきっかけになったのだという。

山本氏のAIの技術と青木氏の自動運転のノウハウがチューリングの屋台骨というわけだ。

EVや自動運転の開発技術は日進月歩であり、アメリカや中国では多くのスタートアップが鎬を削っている。ところが日本ではそういった動きは見られない。

「海外でできているのだから、日本で我々にだってできるはず」と山本CEOは力説する。

この日公開された同社の研究開発、車両生産の拠点となる「Turing Kashiwa Nova Factory」内には、スタートアップらしく完全自動運転EVの量産に向けた今後の具体的な計画が張り出されていた。

あと7年で1万台 壮大なロードマップ

車内に貼り出されたロードマップによると、2023年自社EVで走行、2024年は自社EV100台を販売とある。

さらに2025には完全自動運転車のプロトタイプを登場、2026年工場用地取得、2028年量産開始、2029年レベル5自動運転達成、2030年に1万台の生産と矢継ぎ早に階段を駆け上がろうとしている。

青木CTO。「やるだけやって、ダメだったらそれまで。スタートアップとはそういうものです」という。
青木CTO。「やるだけやって、ダメだったらそれまで。スタートアップとはそういうものです」という。

これはまさに彼らがお手本としているテスラが辿ったサクセスストーリーでもある。

このスピード感が既存の自動車メーカーのプロジェクトなら腑に落ちる。だがもうすぐ創業から2年になる、社員39人の会社のものと考えるとその壮大さに驚かされる。

山本CEOも青木CTOも異口同音に「やるだけやって、ダメだったらそれまで。スタートアップとはそういうものです」という。

そんな同社がハンドルのないクルマ=完全自動運転EVの量産化にこぎつけるための核として据えているのがLLM(Large Language Model、大規模言語モデル)だ。

LLMはいわゆるAIであり、様々な知識を覚え込ませることで文章を書いたりできるようになるというもの。自動運転技術ではカメラで捉えた交通指導員の動きのような複雑な情報や乗員の音声を理解し、クルマを人間のように走らせるための脳になるという。

今回披露された工場内にはホンダNボックスが置かれていた。360°カメラを備えたこのデータ収集車はLLMのためのデータ収集をするためのもの。しかもこのデータを完成させるためには道路を125万km走る必要があるという。

こういった根本のデータから、彼らは自社製に重きを置いているのである。

記事に関わった人々

  • 執筆

    吉田拓生

    Takuo Yoshida

    1972年生まれ。編集部員を経てモータリングライターとして独立。新旧あらゆるクルマの評価が得意。MGBとMGミジェット(レーシング)が趣味車。フィアット・パンダ4x4/メルセデスBクラスがアシグルマ。森に棲み、畑を耕し蜜蜂の世話をし、薪を割るカントリーライフの実践者でもあるため、農道のポルシェ(スバル・サンバー・トラック)を溺愛。
  • 撮影

    小川和美

    Kazuyoshi Ogawa

    クルマ好きの父親のDNAをしっかり受け継ぎ、トミカ/ミニ四駆/プラモデルと男の子の好きなモノにどっぷり浸かった幼少期を過ごす。成人後、往年の自動車写真家の作品に感銘を受け、フォトグラファーのキャリアをスタート。個人のSNSで発信していたアートワークがAUTOCAR編集部との出会いとなり、その2日後には自動車メディア初仕事となった。

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