シルバーアローの幕開け メルセデス・ベンツSSKL ストリームライナー 復刻版1932年式を体験 前編
公開 : 2023.08.12 07:05
一時的にモータースポーツ活動を休止
オリジナルのメルセデス・ベンツSSKは、1928年に生産がスタート。当初は、世界トップクラスのレーシングカーだった。ワークスドライバーがステアリングホイールを握り、イタリア・ミッレミリアやドイツ・アヴスレネンなどのレースで優勝を掴んだ。
そのドライバーのなかで、エース級の活躍を見せたのがルドルフ・カラッチョラ氏。だが、ベルリン・アヴス・サーキットで開かれた1932年のアヴスレネンでは、アルファ・ロメオ8C モンツァをドライブしている。
アメリカに端を発した世界恐慌の影響で業績が悪化し、メルセデス・ベンツは1931年からモータースポーツ活動を休止していた。それでも非公式ながら、プライベートチームは限定的にファクトリーチームによるサポートを受けられた。
1932年シーズンもメルセデス・ベンツの姿はなく、アルファ・ロメオの最新マシンが話題を集めた。それを駆るルドルフが、アヴスレネンの優勝候補として目された。プライベート勢は、設計の古い軽量化されたSSKLで上位を狙うことになった。
しかし、数々のスピード記録を樹立したオートバイレーサー、ラインハルト・フォン・ケーニッヒ・ファクセンフェルト氏は、レースに勝つアイデアを持っていた。技術者でもあり、空気力学を研究していた。
より軽く、より速く、より敏捷に走るライバルと互角に戦うため、SSKLの改造をメルセデス・ベンツへ提案。滑らかなラインを持つ、ボディの強みを訴えた。
低抵抗ボディは80ps上昇することに相当
空気抵抗を小さくすることは、エンジンの馬力が80psほど増えることに相当すると、ラインハルトは主張。210km/hから230km/hへ、最高速度が上昇する可能性があると見積もっていた。ただし、説得力はあったものの、予算も時間も限られていた。
メルセデス・ベンツのレーシング部門を率いていた、アルフレッド・ノイバウアー氏が非公式にアイデアを承認。プライベーターのマンフレート・フォン・ブラウヒッチュ氏が、メカニックのウィリー・ジマー氏から資金を借り、流線型ボディを実作へ移した。
その製造を請け負ったのは、現在のシュツットガルトに存在したコーチビルダーのヴァルター・ヴェッター。職人が手作業で成型し、驚くことに約2週間でまったく新しいボディを完成させた。
それでも時間は足りず、塗装までは間に合わなかった。アルミニウムの素地が露出した、特徴的な容姿が誕生した瞬間だった。
ジマーは完成したマシンを受け取ると、ベルリンまで自走。初めてそのスタイリングを目にしたアルフレッドは、大きな衝撃を受けたようだ。遥かに速いラップタイムを知ると、さらに圧倒されたといわれている。
SSKL ストリームライナーは、当時のどのレーシングカーとも異なっていた。自動車における空気力学は黎明期にあり、専門としたラインハルトですら、空気を効果的に受け流す方法を完全には理解していなかった。
この続きは後編にて。