1度は乗りたい2+2 ポルシェ911 ルノー・アルピーヌ フェラーリ・モンディアル ロータス・エクセル 4台比較 前編

公開 : 2023.08.20 07:05

1980年代に生み出された、2+2のエキゾチック・モデル。ポルシェ、ルノー、フェラーリ、ロータスの4台を英国編集部が振り返ります。

ポルシェ911は当然の選択肢

人生は短い。時々立ち止まって周囲を見渡さないと、大切なものを見逃してしまう。俳優のマシュー・ブロデリック氏が主演を演じた1986年の映画、「フェリスはある朝突然に」の冒頭のような始まりだが、それを実感されている読者もいらっしゃるだろう。

この映画が撮影された頃、暮らしのなかにコンピューターは入り込んでいなかった。巨万の富を得ることになるビル・ゲイツ氏は、5.25インチのフロッピーディスクを1枚手にし、タイム誌の表紙を飾っていた。

手前からレッドのポルシェ911 カレラ3.2と、ブルーのフェラーリ・モンディアル・クアトロバルボーレ、ダークグリーンのロータス・エクセル SE、ブルーのルノー・アルピーヌ GTA V6ターボ
手前からレッドのポルシェ911 カレラ3.2と、ブルーのフェラーリ・モンディアル・クアトロバルボーレ、ダークグリーンのロータス・エクセル SE、ブルーのルノーアルピーヌ GTA V6ターボ

それでも新しい産業が生み出され、技術的な変化は始まっていた。コンピューターが導入された金融市場は、出来高取引の小さな利益を求めて躍動していた。人々は良く働き、よく遊び、多くのモノを求めた。

携帯電話は巨大なステータス・シンボルで、ウェッジシェイプのスポーツカーは実用性を増していった。1世代前のスーパーカーの領域まで、性能は迫ろうとしていた。

1980年代半ば、忙しい金融マンが日常的に乗れるスポーツカーを求めるなら、ポルシェ911が当然の選択肢だった。既に20年の進化を経ていたシュツットガルト生まれのモデルは、徐々に価格も上昇していたが、ライバルが及ばない魅力を放っていた。

有能な走りをメディアは高く評価し、ル・マン24時間レースでも活躍。ポルシェは揺るがない名声を掴んでいた。

2+2のアルピーヌとモンディアル

1984年には、一層高性能な911 カレラ3.2が登場。930 ターボに似せたスポーツ・エクイップメント仕様が設定され、話題をさらった。

英国が金融改革を実施した1986年当時の価格は、3万2849ポンド。金融トレーダーが得ていたボーナスの範囲に収まる金額だった。

ルノー・アルピーヌ GTA V6ターボ(1984〜1991年/英国仕様)
ルノー・アルピーヌ GTA V6ターボ(1984〜1991年/英国仕様)

他方、その頃のルノーはF1で名声を掴んでいた。1977年に投入されたEF1 V型6気筒ターボエンジンは大成功を導き、市販車ラインナップの殆どにもターボが設定されるほどのマーケティング効果を生んでいた。

1984年、ルノー・アルピーヌ A310の後継として登場したのが、リアエンジンのアルピーヌ GTA V6ターボ。シルエットは先代譲りながら、最新デザインへアップデートされ、現代的な2+2スーパーカーに対するルノーの大胆な回答といえた。

当時の英国価格は2万3635ポンド。ポルシェより約9000ポンドも安い設定は、魅力の1つでもあった。

それに先駆けて、フェラーリは308の姉妹モデルとして、ミドシップの4シータークーペ、モンディアルを1980年に発売。マラネロの熱いDNAは新オーナーのフィアットによって揉まれ、パッケージングが練られ、幅広い層へ向けた訴求力を得ていた。

ピニンファリーナによるスタイリングは端正で、落ち着いていた。V型12気筒エンジンのFRモデル、400iのひと回り小さい後継車的なイメージは拭えなかったものの、40年前でもフェラーリは成功者の象徴の1台だった。

英国価格は3万7950ポンド。数年に及ぶ納車待ちのリストができた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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