ラリーとレースの二刀流 フレイザー・ナッシュ・ミッレミリア モダンな運転体験 後編
公開 : 2023.09.02 17:46
多能な高性能モデルとして仕上げられた、フレイザー・ナッシュ・ミッレミリア。現存する貴重な1台を、英国編集部がご紹介します。
1953年のロンドン・ラリーでクラス優勝
今回ご紹介する1台は、1952年7月に完成したシャシー番号166のフレイザー・ナッシュ・ミッレミリア。グレートブリテン島の中西部、マンチェスターのとある企業へ納車され、YMC 81のナンバーを取得している。最後にラインオフした車両でもある。
不思議なことに、モータースポーツへ一切関わることなく、1953年にはフレイザー・ナッシュへ返却されている。しかし次のオーナー、ジャック・ブロードヘッド氏は、友人のピーター・リース氏とともにラリーへ出場。本来の目的通りに楽しんだ。
その頃、ボディはブリストル・マルーンと呼ばれるパープルに塗られ、インテリアはダークブラウンのレザーで仕立てられていた。リアアクスルとスチールホイールは、オースチンのものが組まれていた。
フロントガラスは、現在とは異なり直立していた。だが、サーキット・イベントでは背の低いエアロスクリーンへ交換されたようだ。
ブロードヘッドとリースのペアで戦った、1953年のロンドン・ラリーではクラス優勝。1954年にオールトンパーク・サーキットで開かれたエンパイア・トロフィーにも挑むが、決勝でリタイアしている。
7月のシルバーストン・サーキットで開かれた英国グランプリに向けて、ミッレミリアはワイヤーホイールへ交換され、エンジンにもチューニングが施された。しかし、惜しくも完走は叶わなかった。
11台のミッレミリアで最も美しい
その後、モータースポーツから引退。複数のオーナーを経て、1980年代にブランド・マニアのフランク・シトナー氏が購入した。
彼はボディをダークグリーンに塗装し、インテリアをブラックのレザーで仕立て直した。ワイヤーホイールも、どこかの時点でダークグリーンに塗られている。
当時のパンフレットには、すべてのボディはフレイザー・ナッシュで設計され、自社工場で手仕事によって仕上げられます、と記されていた。確かに同一のミッレミリアは2台とない。合計11台が作られたが、YMC 81のナンバーの1台が、最も美しいと思う。
初期のボディは、フロント周りのスタイリングが整っていなかった。しかし生産末期までに、フレイザー・ナッシュの職人は芸術的な水準にまで高めていた。
これは2台が作られたワイドボディでもあり、全体のプロポーションが一層好ましい。車内空間にも余裕がある。
シャシー番号166では異なるものの、荷室容量を増やすため、スペアタイヤがフロントフェンダー内に固定されていたのも特徴だった。1954年のブリストル404でも、同様の手法が取られている。
希少なモデルのドライバーズシートへ腰を下ろす。見た目の印象通り、颯爽と運転できるだろうか、という疑問が湧く。その当時、実際にステアリングホイールを握れた人は僅かだった。現在では、更に機会は限られている。