アイデアは良いのに消えたクルマ 21選 名案でも「不要」と判断された黒歴史
公開 : 2023.08.20 18:05
素晴らしいけど長続きしなかったアイデアは数多く。狭い駐車場でも荷物を下ろしやすいルノーのトランク、トヨタの若者向けサブブランド、メルセデスの高級トラックなど残念な結果に終わった「名案」を紹介。
もくじ
ーはじめは「名案」だと思ったけど……
ー電気自動車(1900年代)
ータービン車(1940~1960年代)
ー透明ルーフパネル(1950年代)
ーアンフィカー(1961~1968年)
ーランドートップ(1970年代と1980年代)
ーキャデラックの気筒休止技術(1981年)
ー自動車電話(1980年代と1990年代)
ーBMW V16エンジン(1987年)
ー米国の自動シートベルト(1980年代と1990年代)
ーハマー(1999年から2010年まで)
ーシボレーのミッドゲート(2001年)
ーリンカーンのピックアップトラック(2001年)
ードット状のLEDライト(2000年代)
ー欧州のMPV(2000年代)
ートヨタのサイオン(2003年)
ールノーのトランクシュート(2004年)
ープジョー1007(2005年)
ー米国における現代のディーゼル(2010年代)
ーアストン マーティン・シグネット(2011年)
ーメルセデス・ベンツXクラス(2017年)
ーキャデラック・ブラックウィング・エンジン(2019年)
はじめは「名案」だと思ったけど……
自動車業界も消費者も気まぐれだ。
モデル、ボディスタイル、新機能、テクノロジーは、台頭するやいなやすぐに廃れてしまうことがある。また、発表された当時はとても素晴らしいと思われたアイデアも、数年後には時代遅れになってしまうことがある。
今回は、メルセデス・ベンツのピックアップトラックからトヨタの若者向けサブブランドまで、一見すると「名案」だったのに消えてしまったアイデアを紹介したい。
電気自動車(1900年代)
20世紀に入ってから、電気自動車は米国内外で異例の売れ行きを見せた。同クラスのガソリン車よりもスムーズで、操作もはるかに簡単だったからだ。ヘンリー・フォードの妻クララはT型には乗らず、デトロイト・エレクトリックの47型(写真)を日常的に運転していたという。
1910年代には内燃エンジンの技術が急速に進歩し、電動スターターなどの普及によってガソリン車の使い勝手も大幅に向上した。燃料価格が下がるにつれ、バッテリー駆動の電気自動車のシェアは低下。1920年代にはすっかり影を潜め、再び大きな注目を集めるようになったのは1990年代後半になってからである。
タービン車(1940~1960年代)
1950年代、従来のピストンエンジンに代わる有望な選択肢として、タービンを動力源とする自動車が登場した。勇敢なテストドライバーがローバー・ジェット1のプロトタイプで最高速度240km/hを達成し、そこで得た教訓は、ブリティッシュ・レーシング・モーターズが1963年のル・マン24時間レースに投入したタービンエンジン搭載マシンの開発に役立った。実験的なレーシングカーであったため、公式にはレースに出場していないが、仮に出場していれば8位入賞を果たしていた。
米国では、クライスラーがタービン技術の性能を評価するために、ターバインと呼ばれる50台のクーペ(写真)を実際に顧客の手に渡したことで有名だ。ローバーが経験したのと同じような多くの問題にぶつかったが、1970年代まで静かにタービンの微調整を続けた後、さじを投げた。
透明ルーフパネル(1950年代)
航空宇宙デザインと自動車デザインが合体した1950年代、多くの米国車にフィンが付けられていた。同じく、自動車ショーで大きな注目を集めたのが、半球状の透明なルーフパネルだった。戦闘機のキャノピーを彷彿とさせるデザインである。
1953年に発表されたゼネラルモーターズのファイヤーバードI(写真)のように、大胆な未来的コンセプトカーにはしばしば採用されたが、製造や安全性、コストに関する懸念もあり、量産モデルに導入するのは簡単ではなかった。デザイナーたちは1960年代にこのキャノピーに愛想を尽かしてしまったが、ピニンファリーナは現代にこのキャノピーを復活させる計画を立てていた。
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