縦目の新世代 メルセデス・ベンツW114/W115型 4ドアサルーンと2ドアクーペ 前編

公開 : 2023.09.03 17:45

自然で安定した操縦性を生んだ新シャシー

この縦目のスタイリングを手掛けたのが、カーデザイナーのポール・ブラック氏。先代のW110型より全長は短かったが、車内は広く、車重は僅かに増えていた。事故の衝撃を吸収するクラッシャブルゾーンやステアリングコラムを備え、安全性も向上していた。

W114型/W115型に当初設定されたエンジンは、55psを発揮する200Dの4気筒ディーゼルから、131psを発揮する250の直列6気筒ガソリンまでという6種類。シングル・オーバーヘッド・カムで燃費効率に優れ、高回転域まで滑らかに吹け上がった。

メルセデス・ベンツ280CE(W114型/1972〜1976年/英国仕様)
メルセデス・ベンツ280CE(W114型/1972〜1976年/英国仕様)

1972年には、ボッシュ社製の燃料インジェクションを獲得した、ツインカム6気筒の280Eが登場。最高速度200km/h以上を誇る、小柄なベンツが選べるようになった。欧州の景色の一部になっていた、タクシーの220Dは132km/hで差は小さくなかった。

トランスミッションは先代からの進化版といえる、コラムシフトかフロアシフトを選べた4速マニュアルか4速オートマティック。ATはトルクコンバーター式ではなく、流体カップリング式だった。

シャシーの目玉といえたのが、新設計のセミトレーリングアーム式サスペンション。フロントには、アンチダイブ設計のウイッシュボーン式が採用されていた。

アンチロールバーも組まれ、路面からの入力によるキャンバー角の変化を抑えつつ、自然で安定した操縦性を獲得。サーボアシスト付きの四輪ディスクブレーキで、機敏なコーナリングを支えた。

ホイールは14インチが標準サイズ。ただし、ラジアルタイヤはオプションだった。

高い価格は長持ちする技術への正当な対価

小回りの良さと荷室容量の大きさは、タクシードライバーを喜ばせた。1976年に次世代のW123型が登場すると、W114型/W115型の存続を求めて、多くのドライバーがドイツ・シュツットガルトの工場へ押しかけたという。

もっとも、220Dの英国価格は2388ポンド。1969年当時の英国では高額過ぎ、選べるタクシードライバーは殆どいなかった。1970年代半ばまでには、ガソリンエンジン版がロンドンの目抜き通りで乗客を拾っていたが。

手前からネイビー・ブルーのメルセデス・ベンツ250と、ブルー・シルバーの250CE、レッドの240D、シルバーの280CE、ブルーの230.4
手前からネイビー・ブルーのメルセデス・ベンツ250と、ブルー・シルバーの250CE、レッドの240D、シルバーの280CE、ブルーの230.4

実際、W114型/W115型はエントリーグレードでもかなり高かった。4気筒ガソリンの220ですら、英国ではジャガーXJ6と同等の予算が求められた。190km/h以上出るローバー3500 Sは1200ポンドも安く、そのお釣りでフォード・コルチナも買えた。

加えて、薄く色の付いたティンテッド・ガラスやラジオ、タコメーター、シートベルトは追加費用のオプション。ライバルモデルの多くは、標準装備だったにも関わらず。

それでも、メルセデス・ベンツの品質へ厚い信頼をおいていたユーザーには、イニシャルコストの高さは当然のこととして受け止められていた。同時期のモデルより2倍も長持ちする技術への、正当な対価といえた。

今回、英国編集部が集めたW114型/W115型も、そんな耐久性を現在に知らしめる5台。8年間というモデルライフに生み出された多彩なバリエーションの、一部を構成してきたクルマだ。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

縦目の新世代 メルセデス・ベンツW114/W115型 4ドアサルーンと2ドアクーペの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事