失敗の許されなかったフルサイズ レイランドP76 4.4L V8にミケロッティ・ボディ 前編
公開 : 2023.09.09 17:54
オーストラリアのために開発されたフルサイズ・サルーンのP76。ブランドの幕を閉じた不運のモデルを、英国編集部が振り返ります。
失敗の許されなかったフルサイズ・サルーン
ハイリスクな戦略のカナメであり、期待の星でもあった。このフルサイズ・サルーンが発売された半世紀前、レイランド・オーストラリア社は巨額の負債に悩まされていた。現在の価値に換算すると、1億ポンド(約181億円)以上に登ったという。
そんな苦境を打開するため、新モデルの投入へ力が注がれた。負債と同等の資金を借り入れることで。同社の運命は、P76に掛かっていた。
オーストラリアで生産される専用モデルを、英国のレイランドが新たに設計するというスタイルは、前例がなかった。それでも、失敗は許されなかった。
時間を巻き戻すと、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)は、1954年にオーストラリアでのビジネスをスタート。現地に適合したモデルを導入することで、事業を拡大していった。
小さなサルーン、モーリス・メジャーやオースチン・ランサーが、自動車需要を満たすため生産されていた。ウーズレー1500やライレー・ワンポイントファイブをベースとした、オーストラリア仕様として。
しかし、主力になり得る大型サルーンは1969年以降ラインナップされていなかった。彼の地で生き残るためには、レイランドもその1台が必要だった。
その間に、ブランド名はブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション・オーストラリアを経て、1972年からはレイランド・モーター・コーポレーション・オーストラリアへ改称されていた。英国の親会社へ合わせるように。
ミケロッティがスタイリングを担当
ゼネラル・モーターズ(GM)系のホールデンと、フォード、クライスラーは、キングスウッドにファルコン、ヴァリアントという、V型8気筒エンジンを積んだ後輪駆動のサルーンを提供。この3ブランドが、フルサイズ・クラスを独占した状態にあった。
レイランド・オーストラリアが、英国の親会社へ新モデルの開発を提案したのは1967年。1968年後半に計画が承認されるが、プロジェクトを成功させるため、可能な限り多くのハードウェアを他モデルと共有することも決まった。
その時点で、幸運にもビュイック譲りのV8エンジンをグループ内のローバーが生産していた。オーストラリア市場にピッタリのパワーユニットだった。
開発を指揮したのは、技術者のデイビッド・ビーチ氏。ライバルに並ぶ競争力を備えるだけでなく、それ以上の水準を与えることを目指し、1969年に新モデルの開発がスタートした。
スタイリングを手掛けたのは、カーデザイナーの巨匠、ジョヴァンニ・ミケロッティ氏。シャシーなどの技術面は、英国とオーストラリアの共同チームで進められた。
当初模索されたのは前輪駆動。全長4.2m足らずのオースチン1800のボディを流用し、V8エンジンを詰め込んだ試作車が作られた。最終的に生産コストや構造の複雑さ、操縦性の悪さなどから変更されたが、妥当な判断といえた。
ライバルが動力源にしていたV8エンジンは、重たいスチール製。開発が進むなかで、アルミ製のV8や直列6気筒を採用し、軽く仕上げることが強みになると考えられた。