闇だらけのブリティッシュ・レイランドが生んだ名車 14選 英国の「黒歴史」における数少ない宝石

公開 : 2023.09.03 18:05

イノチェンティ・ベルトーネ・ミニ(1974年)

イノチェンティの頑張りにより、ブリティッシュ・レイランドができなかったことを実行に移し、ミニの後継車を独自開発した。ベルトーネが設計したものの、ミニのメカニカルを使用し、ほぼ同じスケールで作られている。ブリティッシュ・レイランドは、ホイールベースを延長するために必要な投資をする余裕がなかったからだ。

そのため、スタイリッシュでよくできたベルトーネ・ミニの販売も限られたものとなったが、もし追加投資があれば、6年後に登場したメトロの代役を務めることができたはずだ。

イノチェンティ・ベルトーネ・ミニ(1974年)
イノチェンティ・ベルトーネ・ミニ(1974年)

ジャガーXJ12(1971年)

1968年のジャガーXJ6も、スポーティなシャシー、ゴージャスな快適性、繊細なエレガンスなど十分素晴らしい出来だが、待望のXJ12は世界最高のクルマの座を争うにふさわしい候補だった。

驚くほど優雅で、繊細だが力強く、そして洗練された12気筒を積むXJ12は、イタリア製V12エンジン車の半額以下で手に入ったのだ。キャンセル待ちの購入希望者は膨大な数に上った。

ジャガーXJ12(1971年)
ジャガーXJ12(1971年)

ジャガーXJ-S(1975年)

ジャガーXJ-Sに対する失望感から目を背けることはできない。この流麗で奇妙なスタイルの高速クルーザーは、伝説的なスポーツカーEタイプの間接的な代用品だった。

しかし、ドイツやイタリアのどんなライバル車よりもスレンダーなGT的クーペであり、その価格も数分の一であったというのも、同様に否定できない事実である。そのため、ドライバーの旺盛な食欲を満たすのに十分な節約となった。

ジャガーXJ-S(1975年)
ジャガーXJ-S(1975年)

レイランドP76(1973年)

1970年代初頭、オーストラリアの人々はアウトバック(砂漠を中心とする僻地)でのサバイバルに耐えるタフなアメリカン・スタイルの大型V8セダンを好んでいた。レイランド・オーストラリアは、GM傘下のホールデン、フォードクライスラーに対抗するため、44ガロン(166L)の燃料タンクをあっという間に飲み干す巨大なセダン、P76を開発した。

オージー・ホイール(Aussie Wheels)誌のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞するが、品質不良と経費削減により、発売からわずか1年半でシドニーの生産工場もろとも抹殺された。

レイランドP76(1973年)
レイランドP76(1973年)

MGB GT V8(1973年)

ローバー3.5L V8エンジンをMGBに搭載することの可能性と魅力を実証したのは、ケン・コステロ氏という1人のチューナーであった。標準車の0-97km/h加速タイム12.1秒を3秒以上短縮し、最高速度を210km/hまで引き上げたのだ。

同じ改造を施すのにブリティッシュ・レイランドは4年を要した。MGB GT V8が発売されたのは1973年で、ちょうど販売台数が激減した石油危機の時期だった。わずか2691台しか生産されなかったが、最高のMGBである。

MGB GT V8(1973年)
MGB GT V8(1973年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ブレンナー

    Richard Bremner

    英国編集部
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ愛知在住。幼少期から乗り物好き。住宅営業や記事編集者といった職を経て、フリーランスとして自動車メディアで記事を書くことに。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。

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