麗しいミケロッティ・ボディ ランチア・アレマーノ・アウレリア B53 1台限りのクーペ 前編

公開 : 2023.09.10 17:45

カロッツェリアへ提供されたシャシー

そこで、通常のアウレリアからホイールベースを伸ばした、プラットフォーム・シャシーを用意。V6エンジンとトランスアクスルの4速MT、セミトレーリング・ウィッシュボーン式のリア・サスペンションが組まれた状態で、各カロッツェリアへ販売された。

主にB50系を名乗り、オートテライオと呼ばれた、そのシャシーの価格は明らかになっていない。アウレリアのサルーン、ベルリーナは230万リラだったが、その半額以下だったと考えられる。

ランチア・アレマーノ・アウレリア B53(1953年式)
ランチア・アレマーノ・アウレリア B53(1953年式)

他方、ランチアの工場は設備が古く、作業効率が悪く、需要に応えられるだけのベルリーナを生産することが難しかった。カロッツェリアによるボディも選べるようにすることで、自社工場の負担を多少は減らすことにも繋がった。

初期のオートテライオに搭載されたエンジンは、1.7LのV6。ピニンファリーナ社へ届けられると、カタログモデルとして5シーターのカブリオレが作られた。最高出力は55psと高くなく、心地よくクルージングできたとしても、速くはなかった。

1952年にB52へアップデートされ、排気量は2.0Lへ拡大。最高出力は70psとなり、動力性能はある程度引き上げられた。さらに、ワイドなタイヤとハイレシオのディファレンシャルを組んだシャシーは、B53として差別化された。

麗しく上品なボディのアレマーノのB53

1956年までに、コーチビルダーへ提供されたアウレリアのオートテライオは774台。そのうち、86台をB53が占めた。

一部はコンセプトカーになり、一部は10台から20台程度の少量生産モデルとして販売された。1台のみ作られた、シャシー番号B531008のアレマーノ・アウレリア B53も、それに含まれる。

ランチア・アレマーノ・アウレリア B53(1953年式)
ランチア・アレマーノ・アウレリア B53(1953年式)

複数のコーチビルダーが独自デザインのボディをアウレリアへ与えたが、その結果は様々だった。ピニンファリーナ社による少量生産のボディも、必ずしもすべてが美しく仕上がったわけではなかった。個性が弱すぎるものもあれば、強すぎるものもあった。

かくして、アレマーノ・アウレリア B53のスタイリングは麗しく上品。ライト・ブルーとブラックのツートーン塗装が似合うような、華やかさはないだろう。当時の白黒写真から判断するに、オリジナルはホワイトとブラックの2色だったようだ。

フォルムは丸みを帯びており、特にテールエンドはなだらかにカーブしている。英国人デザイナーのジェラルド・パーマー氏は、ランチア・アプリリアからスタイリングの着想を得たことへ触れていたが、アレマーノのB53も影響を与えたのではないだろうか。

センターピラーがなく、グラスエリアは繊細。イタリア的な処理といえるが、アメリカンな雰囲気も漂わせる。エキゾチックな佇まいだ。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェームズ・マン

    James Mann

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

麗しいミケロッティ・ボディ ランチア・アレマーノ・アウレリア B53 1台限りのクーペの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事